“進化遺伝学の革命”:『余分な遺伝子が未来を作る』 〜大野乾が描き直した遺伝子の姿

“進化遺伝学の革命”:『余分な遺伝子が未来を作る』 〜大野乾が描き直した遺伝子の姿

「余分なコピー」が生命の可能性を広げることを見抜いた遺伝学者

馬を愛した少年が遺伝学へ向かう

20世紀の生命科学には、実験によって新しい事実を発見した研究者と、発見された事実の背後にある大きな原理を見抜いた研究者がいます。大野乾(おおの・すすむ、Susumu Ohno, 1928–2000)は、その両方を兼ね備えた稀有な遺伝学者でした。 彼が後世に残した最も重要な問いは、驚くほど素朴です。

生物は、どうやって既存の機能を失わずに、新しい機能を作ることができるのか。 この問いから、大野は「遺伝子重複による進化」という壮大な構想へたどり着きました。その考えは半世紀後のゲノム科学によって多くの部分が実証され、現在では進化生物学の基本概念の一つとなっています。

大野は1928年、当時日本統治下にあった朝鮮の京城、現在のソウルに生まれました。少年時代からとりわけ馬を愛し、その興味が動物の形質と遺伝への関心につながったと伝えられています。戦後、東京農工大学で獣医学を学び、1949年に卒業しました。その後、北海道大学で研究を続け、1950年代初頭に米国へ渡ります。UCLAを経て、カリフォルニアのCity of Hope Medical Centerに移り、以後40年以上にわたってここを研究拠点としました。

大野の出発点は、現在のようなDNA配列解析ではありませんでした。 彼が見つめていたのは、顕微鏡の中の染色体でした。 そして、この染色体研究から、やがて「ゲノムそのものが進化する」という大きな思想が生まれていきます。

X染色体に見つけた「働いていない染色体」

哺乳類では一般に、雌はXX、雄はXYという性染色体を持ちます。 1950年代まで、雌の細胞核に見られる濃く染まる構造、いわゆるBarr body(バー小体)が何なのかについては、十分には分かっていませんでした。

大野は染色体を詳細に観察し、これが二本のX染色体が重なったものなどではなく、 二本のX染色体のうち一方が強く凝縮したヘテロクロマチン化X染色体であることを示しました。 この発見は非常に重要でした。 雌にはX染色体が二本ある。しかし、その二本が同じように働いているわけではない。 やがてMary Lyonは1961年、哺乳類の雌では発生初期に二本のXのうち一方が細胞ごとに不活性化されるというX染色体不活性化仮説を提唱します。今日「lyonization」と呼ばれる現象です。 したがって、X染色体不活性化を「大野が単独で発見した」と表現するのは正確ではありません。大野は、Barr bodyが凝縮したX染色体であることを細胞遺伝学的に示し、Lyonらが機能的な不活性化モデルを構築するための重要な基盤を提供した、と考えるのが適切でしょう。

ここで大野は、後の彼の思想につながる重要な問題に出会いました。 それが、 遺伝子の「数」と「働く量」は同じではない という問題です。

二本あるのに、一本しか働かない 〜遺伝子量補償

雄の哺乳類はX染色体を一本しか持ちません。一方、雌は二本持っています。 もし二本とも完全に働けば、雌ではX染色体上の遺伝子産物が雄の約2倍になってしまいます。 そこで雌では、一方のX染色体の大部分を不活性化することで、雄と雌のX連鎖遺伝子の発現量の差を小さくしています。 これが遺伝子量補償(dosage compensation)という考え方です。

しかし大野は、さらにもう一段深い問題に気づきました。 XとYはもともと普通の一対の常染色体から進化したと考えられます。しかし進化の過程でY染色体から多くの遺伝子が失われました。その結果、雄では多くのX連鎖遺伝子についてコピーが一本しかありません。 一方、常染色体上の遺伝子は基本的に二コピーです。 そこで大野は1967年、単一の活性Xからの発現が約2倍に高められることで、常染色体との量的バランスを取っているのではないかと考えました。

模式的には、 常染色体:2コピー × 1 = 2 に対して、 X染色体:1コピー × 2 = 2 とする発想です。

さらに雌では二本のXのうち一本を不活性化すれば、 活性X 1本 × 2 = 2 となり、雄、雌、常染色体の間でバランスを取ることができます。 非常に美しいモデルです。

ただし、この「活性X全体が一律に2倍になる」という部分は、現在ではそのまま成立するとは考えられていません。RNA-seqやプロテオームを用いた研究では、X染色体全体を一律に2倍発現させるという大野の原型モデルを支持しない結果も多く、遺伝子量に敏感な一部の遺伝子について選択的・部分的な補償が生じているという理解が有力になっています。 大野の具体的なモデルは修正されたのです。

しかし、「染色体のコピー数が変われば、遺伝子発現量のバランスをどう維持するかという進化的問題が生じる」という問いそのものは、現在のゲノム科学でも中心的な問題として残っています。

「大野の法則」 〜なぜX染色体は保守的なのか

大野はさらに、X染色体が遺伝子量補償という特殊な制御を受けているなら、その遺伝子構成を自由に変えることは難しいはずだと考えました。 ある遺伝子が常染色体からX染色体へ移ったり、逆にXから常染色体へ移ったりすれば、それまで成立していた発現量のバランスが崩れる可能性があります。

したがって、 哺乳類のX染色体の遺伝子構成は、進化の過程で比較的強く保存されるはずである と予測しました。 これが後にOhno’s law(大野の法則)と呼ばれます。

実際、ヒトとマウスなどの胎盤哺乳類を比較すると、X染色体の単一コピー遺伝子の大部分は対応関係を保っており、X染色体の遺伝子構成は常染色体に比べて顕著に保守的です。一方で、雄性生殖に関連する増幅遺伝子群などには大きな例外もあることが分かっています。

つまりここでも、 大野の予測は大枠では当たっていたが、自然は彼が想像したより複雑だった という構図が見えてきます。

染色体から「進化そのもの」へ

X染色体を研究していた大野は、やがてさらに大きな問題に向かいます。 それは、 新しい遺伝子はいったいどこから生まれるのか という問いでした。

生命に不可欠な遺伝子は、容易には大きく変えることができません。 たとえば心臓形成に必須の遺伝子が一つしかないとします。その遺伝子を大幅に変えて新しい機能を試そうとすれば、本来の心臓形成機能を失い、個体が生存できなくなるかもしれません。 進化には、ここに一種のジレンマがあります。

必要なものほど、変えにくい。 では、新しい機能はどこから生まれるのでしょうか。 大野が示した回答はきわめて明快でした。 「まずコピーを作ればよい」 というものです。

『Evolution by Gene Duplication』 〜余分な遺伝子が未来を作る

1970年、大野は代表作となる『Evolution by Gene Duplication』を出版します。 その中心的な考え方は、 遺伝子重複こそ、新しい遺伝子機能を生み出す主要な原動力である というものでした。

ある重要な遺伝子Aが、 A → A1+A2 と複製されたとします。 A1が従来の仕事を続ければ、A2は多少変化しても生命維持にただちに致命的な影響を与えません。 そのためA2には、それまで許されなかった変異を蓄積する「自由」が生まれます。

やがて、 A1=従来の機能 A2=新しい機能 となるかもしれません。 現在ではこれをneofunctionalization(新機能化)と呼びます。

さらに後の研究から、重複した二つの遺伝子が、祖先遺伝子が担っていた複数の仕事を分担するsubfunctionalization(機能分担)も重要であることが分かりました。

大野の発想を一言で表せば、 「コピーしてから変える」 という進化戦略です。 新しいものを無から作るのではありません。 古いものを残し、その複製を改造する。 現在のゲノムを見れば、この原理は至るところに認められます。

さらに大胆な仮説 〜ゲノム全部がコピーされた

大野の着想は、一遺伝子の重複だけでは終わりませんでした。 彼は、脊椎動物の祖先では、 染色体一式、すなわち全ゲノムそのものが重複した と考えました。

一つの祖先遺伝子をAとすれば、 A → A1・A2 となり、さらにもう一度全ゲノム重複が起これば、 1 → 2 → 4 と最大四つの関連遺伝子が生まれます。 後にこれは2R仮説(two rounds of whole-genome duplication)として知られるようになります。

大野がこの考えを提示した1970年には、ヒトゲノム配列はもちろん存在しません。 それにもかかわらず、染色体数や遺伝子ファミリーの比較から、脊椎動物の遠い祖先で巨大なゲノム重複が起きたのではないかと推論したのです。

後にHox遺伝子群が、その象徴的な証拠となりました。 脊椎動物に近縁なナメクジウオでは基本的なHoxクラスターが一組なのに対し、哺乳類などの顎口類では、 HoxA、HoxB、HoxC、HoxD という四系列があります。 ゲノム解読が進むと、Hoxだけでなくゲノムの広い範囲に古代の大規模重複の痕跡が発見されました。 半世紀を経て、大野の大胆な予想は、比較ゲノム学によって実体を与えられたのです。

大野の名を残した「ohnolog」

全ゲノム重複で生まれた遺伝子のすべてが現在まで残ったわけではありません。 重複直後には多数のコピーがあっても、長い進化の過程で多くが失われます。

しかし一部は、 新しい機能を得たり、 祖先の機能を分担したり、 遺伝子量のバランスを維持するために残ったりして、 数億年後の現在まで保存されています。

こうした古代の全ゲノム重複に由来する遺伝子コピーは、大野乾の名をとって、 ohnolog(オーノログ) と呼ばれています。 遺伝子重複一般によって生じた遺伝子をparalogと呼ぶのに対し、ohnologは、その中でも全ゲノム重複に由来するものを指します。

研究者の姓が一つの遺伝学用語になったわけです。 それだけ大野の考えが、現代ゲノム学の基本概念として定着したことを象徴しています。

なぜ「一遺伝子」ではなく「ゲノム全部」を増やすことが重要なのか

全ゲノム重複には、単一遺伝子重複にはない利点があります。

生物の機能は、一つのタンパク質で完結していることは少なく、多くの場合、 受容体 シグナル伝達分子 転写因子 標的遺伝子 などがネットワークを形成しています。

仮にA、B、Cという三つのタンパク質が1対1対1で働いているとします。 Aだけを二倍にすると、 2:1:1 となり、バランスが崩れます。

しかしゲノム全体が倍になれば、 2:2:2 となります。 つまり全ゲノム重複は、 相互作用するシステム全体を、比率を維持したままコピーする ことができます。 そして、その後に少しずつコピーを失ったり、役割を変えたりすることで、新しい制御ネットワークが形成されます。 現在では、このdosage balance(遺伝子量バランス)が、全ゲノム重複後に転写因子やシグナル伝達分子などが選択的に残りやすい理由の一つと考えられています。

大野が考えた「余分なコピー」は、単なる余分ではありませんでした。 それは、生命システム全体を作り替えるための材料だったのです。

大野説は現在、少し違う姿になっている

科学において、本当に優れた仮説とは、細部まで永久に正しい仮説ではありません。 新しい研究を生み、やがて自らも修正されていく仮説です。 大野の全ゲノム重複説もその例です。

古典的な2R説では、脊椎動物の共通祖先で2回の全ゲノム重複が起こり、その後に無顎類と顎口類が分岐した、という単純な図が想定されていました。 しかしヤツメウナギやヌタウナギなどの高精度ゲノムが解析された現在では、より複雑な歴史が考えられています。 近年の再構成では、脊椎動物初期の共通祖先で最初の全ゲノム重複が起こり、その後、顎口類と円口類の系統が分かれ、それぞれの系統で追加的な大規模ゲノム重複が起こった可能性が支持されています。

したがって、 「全脊椎動物の祖先で同じ二回の重複が連続して起こった」 という古典的な模式図には修正が必要です。 しかし、 「脊椎動物初期の進化に大規模な全ゲノム重複が存在し、それが大量の遺伝子コピーを供給した」 という大野の中心的洞察は、むしろ強く支持されています。

そして2026年、大野説は「脳の進化」へつながった

大野の死から四半世紀以上が過ぎた2026年、興味深い研究が『Nature』に報告されました。 ヒト、マウス、トカゲ、ヤツメウナギ、ナメクジウオなどの脳を、単一細胞トランスクリプトームという現代的手法で比較した研究です。

研究者たちは、一個一個の細胞についてどの遺伝子が発現しているかを解析し、脊椎動物の脳細胞型がどのように進化したかを再構成しました。 そこで浮かび上がったのが、ohnologでした。 古代の全ゲノム重複で生じたohnologは、小規模な遺伝子重複によって生じた遺伝子よりも、脊椎動物の脳の細胞型分化に強く関与していました。

特に重要だったのは、 遺伝子コピーが異なる細胞型で使い分けられるようになること でした。 一つの祖先遺伝子が担っていた働きを、重複した複数の遺伝子が異なる神経細胞やグリア細胞で分担する。

つまり、 遺伝子の重複 → 発現の分業 → 細胞型の分化 → 神経系の複雑化 という道筋です。

大野が1970年に提唱した「遺伝子重複による進化」が、56年後、脳を構成する一個一個の細胞レベルで検証され始めたことになります。 これは大野の科学的遺産を考えるうえで、きわめて象徴的な出来事です。

「無駄」は、本当に無駄なのか

大野の思想を貫いているのは、「冗長性」に対する独特の視線です。

工学では、同じ部品が二つあれば、一方は余分に見えます。 生命でも、一つで十分な遺伝子が二つ存在すれば、一見すると無駄です。 しかし大野は、その「無駄」にこそ進化の可能性を見ました。

一つしかないものには、現在の仕事を続けなければならないという制約があります。 二つになれば、一つは現在を守り、もう一つは未来を試すことができます。 これは遺伝子だけの話ではありません。 生命の進化そのものが、既存のものを残しながら、余剰部分を使って試行錯誤する過程だと 見ることができます。

後年、大野は「junk DNA」という言葉も提示しました。 当時ほとんど機能が分からなかった膨大なDNA配列について考える中でも、彼はゲノムを完成された設計図ではなく、重複、消失、変形を繰り返してきた進化の歴史そのものとして見ていました。(注)

(注) 現在は、「非コードDNA」と「ジャンクDNA」を区別します。 タンパク質をコードしない領域にも、遺伝子発現を調節する配列や、機能性RNAを作る領域があります。 一方、遺伝子や転移因子の残骸など、生存・繁殖に役立つ機能を持たないと考えられる配列も多数あります。ただし、その一部が新しい調節機能に転用されることもあります。 重要なのは、RNAに転写されるだけでは有用な機能の証明にはならず、「機能不明」と「機能がない」も別という点です。すべてがゴミではなく、機能領域・非機能領域・未解明領域が混在しており、その割合は「機能」の定義や評価方法によっても変わります。

科学と音楽の間で

大野という人物には、もう一つ印象的な側面があります。

彼はクラシック音楽を愛し、後年にはDNAの塩基配列を音符へ変換して「音楽」として演奏する試みまで行いました。

科学的仮説としての価値とは別に、この試みには大野らしさがよく表れています。 生命の配列の中に、反復と変奏を見いだす。 それは彼が遺伝子進化に見たものとどこか似ています。

同じ主題を繰り返しながら、少しずつ変える。 一つの旋律から変奏曲が生まれるように、 一つの遺伝子から複数のコピーが生まれ、それぞれが異なる役割へ変化していく。

大野にとって生命とは、固定された機械というより、古い主題を保存しながら絶えず変奏していくシステムだったのかもしれません。

次世代に伝えたい大野乾の視座 〜進化には「余白」が必要である

大野乾が残した業績を振り返ると、一見別々に見える研究が一本の線でつながっています。

X染色体不活性化の研究では、 同じ遺伝子を何コピー持つか という問題を考えました。

遺伝子量補償では、 そのコピーをどれだけ働かせるか という問題を考えました。

遺伝子重複説では、 コピーそのものを増やすことが進化を可能にする と考えました。

全ゲノム重複説では、 ゲノム全体のコピーが、生物の複雑化の材料になる と考えました。

そして現在、ohnolog研究は、 そのコピーが脳の細胞型の多様化にまで利用された ことを示し始めています。

大野の研究を一つの言葉にまとめるなら、それはおそらく、 「余白」 なのではないでしょうか。

生命にとって、効率だけが重要なのではありません。 すべてが最低限しか存在せず、すべてが現在の仕事に完全に固定されているシステムには、新しいことを試す余裕がありません。 重複によって余分なものが生まれる。 その一部は消えてしまう。 一部は元の役割を維持する。 そして、ごく一部が新しい役割を獲得する。 それを数億年繰り返した結果として、眼が生まれ、免疫系が複雑になり、脳に多様な細胞型が生まれた可能性があります。

保存 → 重複 → 冗長性 → 分化 → 新機能。

大野乾は、DNA配列を直接読むことのできなかった時代に、染色体の姿からこの進化原理を見抜きました。 もちろん、彼の仮説のすべてがそのまま正しかったわけではありません。X染色体の一律な2倍発現説は大幅な修正を受け、古典的な2Rモデルも初期脊椎動物のゲノム解読によって複雑な姿へ書き換えられています。

しかし、それこそ科学者の偉大さを考えるうえで重要なのかもしれません。 偉大な科学者とは、後世の研究者が訂正する必要のない人ではありません。 後世の研究者が何十年にもわたって検証し、訂正し、発展させずにはいられないほど大きな問いを残した人です。

大野乾が1970年に提示した「遺伝子重複による進化」は、半世紀以上を経た現在も、生物がどのように新しい機能を獲得し、脊椎動物がなぜこれほど複雑になり、人間の脳がどのように成立したのかを考える重要な枠組みであり続けています。

『一見すると無駄に見える「余分なコピー」が、未来の可能性を生む。 生命は、余白を持つことによって進化できた。』 この視座こそ、大野乾から次世代へ伝えたい、最も美しい科学的遺産の一つだと思います。

著者雑感

大野乾(おおの すすむ)博士が存命であれば、ノーベル賞を受賞していた可能性は非常に高いと私は考えております。 おそらく、進化生物学や遺伝学に携わる多くの研究者が深く同意する見解だと思います。「確実」とまで断言できるかはノーベル賞委員会の特有の選考傾向(壮大な進化理論よりも、特定の分子メカニズムの解明や技術開発が重視されがちな点)にも左右されますが、博士の残した業績が、ノーベル賞の権威を凌駕するほどのパラダイムシフトを起こしたことは間違いありません。

大野博士は2000年に72歳で逝去されましたが、非常に惜しまれるのは、その直後の2003年にヒトゲノム計画が完了したというタイミングです。21世紀に入り、世界中の生物のゲノムが解読されるにつれて、博士の理論の正しさが圧倒的なデータとともに実証される時代が到来しました。 もし博士が2010年代まで存命であれば、ゲノム科学と分子進化の基礎を築いた最大の功労者として、ノーベル生理学・医学賞の有力候補に挙がっていた事は確実でしょう。

ノーベル賞には「死後授与しない」という厳格なルールがあるため受賞には至りませんでしたが、現在の生物学の教科書に刻まれているその概念は、賞の有無に関わらず生物学史上の金字塔です。