診断は「心のカルテ」か、それとも「チェックリスト」か?
診断は「心のカルテ」か、それとも「チェックリスト」か?
心の医学にやってきた「黒船」
皆さんは、精神科や心療内科を受診した際、医師がパソコンの画面を見ながら「眠れていますか?」「食欲はどうですか?」と、いくつかの質問をテキパキと確認していく様子に、少し味気なさを感じたことはないでしょうか。
実は、日本の精神医学界には、かつて「黒船」と呼ばれた大きな変化の波がありました。1980年代、アメリカからやってきた『DSM-III』という診断基準の登場です。それまでの精神医学は、患者さんが語る「物語」や、医師との「対人関係のドラマ」、あるいは言葉にできない「心の奥底の葛藤」を読み解こうとする、いわば文学や哲学に近いアプローチが主流でした。
しかし、この黒船の到来によって、日本の精神科診断は「内面を深く理解する」ことから、「外から見える症状をチェックする」という、大きなパラダイムシフト(価値観の転換)が起きたのです。
なぜ「チェックリスト」が必要だったのか
なぜ、わざわざ「心の深み」を犠牲にしてまで、チェックリスト形式の診断が広まったのでしょうか。そこには「科学としての公平性」を求める切実な理由がありました。
かつての診断は、医師の主観に頼る部分が大きく、「A先生はうつ病だと言うが、B先生は性格の問題だと言う」といった診断のバラつきが問題視されていました。これを解決するために、「誰が診ても同じ診断名にたどり着けること(信頼性)」が最優先されるようになったのです。
いわば、ベテランの料理人が長年の勘で作る「秘伝の味」を、誰でも同じ味で作れる「マニュアル化されたレシピ」に書き換えたようなものです。これにより、世界中で同じ基準でデータを集め、統計を取り、薬の効果を客観的に証明する「エビデンス(根拠)に基づいた医学」が大きく進歩しました。
「言葉にできない苦しみ」がこぼれ落ちる
しかし、マニュアル化には副作用もありました。チェックリストの項目に当てはまらない「微細な感覚」が、診断の網の目からこぼれ落ちてしまうようになったのです。
例えば、統合失調症などの重い心の病が始まる前、本人さえうまく言葉にできないような「世界がなんとなく不気味に変わってしまった感覚」や「自分と他人の境目がにじむような違和感」があります。かつての医師たちは、こうした「了解(理解)」を超えた感覚を、対話を通じて丁寧に掬い取ってきました。
現在の「〇個以上の症状が〇週間続けば、この病名」という操作的な診断スタイルでは、こうした「数値化できない主観的な世界」は、評価自体出来ません。さらに、フロイトが説いたような「無意識の働き」も、評価することが難しくなっています。
日本人とアメリカ人、心の「文化」の違い
もう一つの大きな問題は、この診断基準が「アメリカの価値観」で作られているという点です。心の病には、その国の文化が深く根付いています。例えば、アメリカでは「罪悪感(自分が悪いことをした)」という感覚が重視されますが、日本では「他人に迷惑をかけて申し訳ない」という「対人配慮」や「恥の感覚」が、うつ病などの苦しみの根底にあることが多いのです。
私たちが知っておくべきこと
現在、多くの精神科医はこの「マニュアル(操作的診断)」の便利さと、「個別の理解(精神病理)」の深さの間で、バランスを取ろうと奮闘しています。
「診断名は、あなたの状態を指し示す『地図の一種』であって、あなたという人間そのものではない」そう理解しておくことが、今の時代のメンタルヘルスとの上手な付き合い方かもしれません。
結びに代えて
診断基準という「ものさし」は日々進化していますが、最後に頼りになるのは、やはり人と人との対話です。診断名というラベルの裏側にある、あなた自身の「心の物語」を、医師やカウンセラーに少しずつ伝えてみてください。そこから本当の意味での「納得できる治療」が始まるはずです。
