脳がつくる「親切な嘘」: チェッカーシャドウ錯視の正体
脳が私たちに見せている世界は、必ずしも「ありのままの物理的な数値」ではありません。むしろ、脳は私たちが生き抜くために最も都合の良い形に、情報を書き換えて提示してくれます。
その代表例が、心理学者エドワード・エーデルソンが発表した「チェッカーシャドウ錯視」です。この現象を通じて、私たちの脳がいかに高度で、かつ「お節介」な計算を行っているのかを、脳科学の視点から紐解いてみましょう。
脳がつくる「親切な嘘」:
チェッカーシャドウ錯視の正体
まずは、有名なチェッカーボードの画像を思い出してみてください。緑色の円柱が置かれ、その影がボードの上に落ちています。影の中にあるタイル(B)と、影の外にあるタイル(A)。どう見てもBの方が明るく見えますが、驚くべきことに、これら二つのタイルが反射している光の量(物理的な輝度)は、一分の狂いもなく全く同じです。
なぜ、私たちの目はこれほどまでにあっさりと騙されてしまうのでしょうか。それは、脳が「物理的に正しい数値」を測る測定器ではなく、「影などの状況を考慮して、物の本来の色を当てる推理作家」だからです。
この錯覚を引き起こす3つの神経メカニズム
この現象は、主に3つの仕組みが協力することで引き起こされます。
1. 「隣の芝生」との比較:側抑制という仕組み
私たちの視覚の旅は、まず網膜から始まります。ここで働くのが「側抑制(そくよくせい)」というメカニズムです。
網膜にある神経細胞は、自分が光を受けて興奮すると、隣の細胞に対して「ちょっと静かにしてくれ」とブレーキをかける(抑制する)性質を持っています。これによって、明るい場所と暗い場所の「境界線」が強調され、物の形がくっきりと浮かび上がるのです。
明るいタイルに囲まれています。周囲の細胞が強く興奮し、タイルAを担当する細胞に強力なブレーキをかけるため、脳には「ここはかなり暗い」と伝わります。
暗いタイルに囲まれています。周囲からのブレーキが弱いため、脳には相対的に「ここは明るい」と伝わります。
しかし、この側抑制だけでは、あそこまで劇的な色の違いは説明できません。もっと高次な、脳の「忖度(そんたく)」が働いているのです。
2. 「影」を割り引く脳の高度な計算:明るさの恒常性
次に重要なのが、脳の視覚野(特にV4野と呼ばれる領域)で行われる「明るさの恒常性(Lightness Constancy)」という処理です。
私たちは、白い紙を夕焼けの下で見ても、蛍光灯の下で見ても、同じ「白い紙」だと認識できます。これは、脳が周囲の状況から「今は夕方の赤い光が当たっているから、赤みを引いて考えよう」と自動的に補正をかけているからです。
チェッカーシャドウの場合の脳内推論:
「緑色の円柱がある。そこから影が伸びている。ということは、タイルBは今、影に入って暗くなっているはずだ」
ここからが脳の真骨頂です。脳は「影の中にいるのにこの明るさで見えているということは、本来(光の下に出れば)もっと白いはずだ」と推論し、網膜から届いた暗い信号を、私たちの意識に届く前に勝手に「明るく」上書きしてしまいます。 つまり、脳は親切心から「影の分を差し引いた、本来の色」を見せてくれているのです。
3. 「パターン」を維持したいという情熱:視覚的グルーピング
最後の一押しは、脳の「模様に対するこだわり」です。
脳には、バラバラの情報を一つのまとまりとして捉える「グルーピング」という機能があります。チェッカーボードを見たとき、脳は瞬時に「これは白と黒が交互に並んでいる規則正しいパターンだ」と学習します。
すると、タイルBが「白いタイルが並んでいる列」の一部であることを認識し、「この列にあるのだから、多少暗く見えてもこれは白であるべきだ」という強力な期待値を働かせます。この「期待」が、網膜から届く生のデータをさらに加工し、私たちの主観的な現実を完成させるのです。
なぜ脳は「正解」を教えてくれないのか?
「事実は一つなのに、脳が勝手に解釈を変えるなんて困る」と思われるかもしれません。しかし、進化の過程を振り返れば、脳のこの戦略は極めて合理的です。
原始の時代、木陰に隠れている果実を見つけたとき、「物理的な暗さ」をそのまま受け取って「これは黒い石だ」と勘違いしては、栄養を得ることができません。影の中にいても、それが「赤い熟した果実」であることを見抜く能力こそが、生存に直結したのです。
脳にとって重要なのは、カメラのように光の粒を正確に数えることではなく、「どんな状況下でも、その物体が何であるかを正しく特定すること」でした。私たちの脳は、多少の数字の正確さを犠牲にしてでも、より重要な「本質」を掴もうとしているのです。
結びに代えて:世界は「解釈」でできている
チェッカーシャドウ錯視が教えてくれるのは、私たちが「現実」だと思っているものは、脳というフィルターを通した「一つの解釈」に過ぎないという事実です。
視覚に限らず、私たちの感情や対人関係においても、脳は過去の経験や周囲の文脈から、絶えず「上書き補正」を行っています。誰かの言葉が冷たく感じたとき、それは相手の言葉そのものの温度ではなく、自分の心の「影」がそう見せているだけかもしれません。
錯覚を知ることは、自分の脳のクセを知ること。そして、自分が見ている世界が絶対ではないと知ることです。そう考えると、この不思議な目の錯覚も、私たちの脳がいかに一生懸命、世界を正しく見せようと奮闘しているかの証(あかし)のように思えてきませんか。
