精神医学研究の新しい標的⑦:非コードRNA
(医療関係者向けコラム)
精神医学研究の新しい標的⑦:非コードRNA(医療関係者向けコラム)
「使われないRNA」から遺伝子を操る調節因子へ
長いあいだ、生命科学の中心には「DNAからRNAが作られ、RNAを設計図としてタンパク質が作られる」という考え方があった。遺伝子の働きを理解するとは、どの遺伝子がどのタンパク質を作り、そのタンパク質が細胞内で何をしているかを明らかにすることだった。
精神医学も例外ではない。セロトニントランスポーター、ドパミン受容体、NMDA受容体、BDNF、炎症性サイトカインなど、研究対象の多くは最終的にタンパク質へ行き着く。ところが、ヒトゲノムのうち、タンパク質のアミノ酸配列を直接コードしている領域はごく一部にすぎない。それ以外の広大な領域は、かつて「ジャンクDNA」と呼ばれることさえあった。
しかし現在、その見方は大きく変わっている。タンパク質を作らない領域からも大量のRNAが転写され、その一部が遺伝子発現、神経発達、シナプス可塑性、ストレス応答、免疫反応を精密に調節していることが分かってきたからである。
これが非コードRNA、英語でnon-coding RNA、略してncRNAである。 非コードRNAは、精神疾患を引き起こす単一の「原因物質」ではない。むしろ、遺伝的素因と環境要因を結びつけ、脳内の多数の遺伝子を同時に調節する「分子レベルの制御装置」と考えた方がよい。
非コードRNAには何があるのか
非コードRNAには、長さや構造、働きの異なる多くの種類が存在する。 最も研究が進んでいるのがmicroRNA、すなわちmiRNAである。miRNAは約20~24塩基という非常に短いRNAで、標的となるメッセンジャーRNAに結合し、その分解を促したり、タンパク質への翻訳を抑えたりする。
重要なのは、一つのmiRNAが一つの遺伝子だけを調節するのではないという点である。一つのmiRNAが数十から数百の遺伝子に影響し、逆に一つの遺伝子が複数のmiRNAによって調節される。そのためmiRNAの変化は、神経伝達物質、受容体、シナプス形成、炎症、ミトコンドリア機能などを横断する広い遺伝子ネットワークを動かし得る。
次に注目されているのが、一般に200塩基以上の長さをもつ長鎖非コードRNA、lncRNAである。lncRNAは、DNAやヒストン修飾酵素、転写因子、RNA結合タンパク質などと結合し、遺伝子の読み取り方を変化させる。クロマチン構造を開閉するもの、特定の遺伝子を抑制するもの、RNAのスプライシングを調節するものなど、その働きは多様である。
さらに、RNAの両端が共有結合して環状になったcircRNAも存在する。circRNAは末端をもたないため分解されにくく、神経細胞やシナプスに比較的豊富に存在する。miRNAやRNA結合タンパク質と相互作用し、局所的な遺伝子発現やシナプス可塑性を調節すると考えられている。
このほか、同じmiRNA遺伝子から生じる配列の異なるisomiR、tRNA由来断片のtRF、rRNA由来断片のrRF、Y RNA由来断片のyRFなど、従来は単なるRNA分解産物と考えられていた分子にも、独自の調節機能があることが分かり始めている。
研究は「患者で増えていた」だけでは不十分になった
初期の非コードRNA研究では、患者と健常者の血液や死後脳を比較し、「このmiRNAが増加している」「このlncRNAが減少している」と報告する研究が中心だった。
だが、発現量に差があることと、病気の原因であることは同じではない。患者の死後脳で非コードRNAが変化していても、それは発症原因ではなく、長期の服薬、喫煙、炎症、自殺、罹病期間、死後変化などの影響かもしれない。また、病的変化を打ち消すために生じた代償反応である可能性もある。
そこで近年は、GWASによる疾患関連領域、非コードRNAの発現量を左右する遺伝的変異であるeQTL、死後脳のトランスクリプトーム、単一細胞解析、患者由来iPS細胞、動物モデルを統合する研究が進められている。 まず、ある遺伝的変異が精神疾患のリスクと関連するかを調べる。 次に、その変異が特定の非コードRNAの発現を変えるかを確認する。 さらに、ヒト神経細胞や動物でそのRNAを増減させ、神経発達、シナプス機能、行動が変化するかを検証する。
つまり研究の焦点は、「患者で変化していたRNAの一覧」から、「遺伝的リスクを病態へ変換するRNAは何か」へ移っているのである。
統合失調症とmiR-137
精神疾患との関係が最も詳しく研究されている非コードRNAの一つが、miR-137である。
MIR137HG周辺は、統合失調症の大規模GWASで繰り返し検出されてきた。miR-137は神経前駆細胞の増殖と分化、樹状突起形成、シナプス成熟、神経伝達、成人期の神経新生などを調節する。 ただし、miR-137を単純に「増えれば悪い」「減れば悪い」と理解することはできない。胎児期の神経前駆細胞と成人期の成熟神経細胞では、miR-137が調節する遺伝子が異なるからである。脳領域や細胞種によっても機能は変化する。
2026年の研究では、コンピューター上で予測した標的ではなく、胎児期および成人期のヒト脳で実際にmiR-137が結合する標的遺伝子が解析された。その結果、直接標的にはシナプス・神経機能に関係する遺伝子が多く、統合失調症の遺伝的リスクが集積していた。 さらに、胎児期の標的遺伝子群は統合失調症の陰性症状と関連し、成人期の標的群は統合失調症と双極症の発症リスクをよりよく捉えていた。同じmiRNAであっても、発達段階によって病態上の意味が異なることを示す興味深い知見である。
miR-137とGOMAFUがつくる多層的ネットワーク
miR-137研究で新たに注目されているのが、GOMAFUとの関係である。
GOMAFUはMIATとも呼ばれる核内lncRNAで、神経活動によって発現が変化する。GOMAFUはRNA結合タンパク質と相互作用し、統合失調症との関連が指摘されているERBB4などの選択的スプライシングを調節する。 通常、miRNAは標的RNAを抑制する分子として説明される。ところが2025年の研究では、miR-137が転写抑制因子E2F6などを介して、間接的にGOMAFUの発現を増加させることが示された。この経路には、ヒストンアセチル化と複数の統合失調症関連転写因子も組み込まれていた。
すなわち、 「miR-137の変化」 「転写因子ネットワークの変化」 「GOMAFU発現の変化」 「スプライシングや免疫応答遺伝子の変化」 という多層的な連鎖が想定される。 これは、精神疾患の遺伝的リスクが一つの受容体や酵素に直結するのではなく、複数の調節層を通って神経細胞の性質を変えることを示している。
同じく統合失調症では、LINC01068というlncRNAも候補となっている。ヒト神経幹細胞でLINC01068を減少させると、細胞の増殖、移動、神経分化が障害され、シナプス関連遺伝子の発現も変化した。ただし、この知見は独立したデータセットで十分に再現されておらず、現時点では有力候補の段階である。
うつ病 〜ストレスとクロマチンを結ぶlncRNA
うつ病研究において、非コードRNAは遺伝的素因と環境要因をつなぐ分子として注目されている。
ストレス、睡眠不足、幼少期逆境、グルココルチコイド、炎症性サイトカインなどは、非コードRNAの発現を変化させる。その変化が、BDNF、神経可塑性、HPA系、グルタミン酸伝達、ミクログリア、ミトコンドリアなどの機能へ波及する可能性がある。
2025年末に報告された研究では、うつ病59例と対照41例の背外側前頭前野で、約3万5千種類のlncRNAが調べられた。その結果、1,625種類が増加し、1,439種類が減少していた。 特に注目されたのは、増加していた60種類のlncRNAが、抑制性ヒストン修飾であるH3K27me3をもつクロマチン領域と相互作用していたことである。これらのlncRNAは、シナプス小胞放出や神経伝達に関係する24のタンパク質コード遺伝子の発現低下と関連していた。
この結果からは、 「ストレスなどによるlncRNA発現の変化」 「lncRNAと抑制性クロマチンとの結合」 「シナプス関連遺伝子のサイレンシング」 「前頭前野機能の変化」 という経路が考えられる。 ただし、これは死後脳を用いたバルク解析である。うつ病の原因を直接証明したわけではなく、服薬、自殺、罹病期間、細胞組成などの影響を慎重に評価する必要がある。
2026年には、うつ病GWASと脳eQTLを統合した研究からMIR1255Aも候補として挙げられた。ヒト神経前駆細胞でMIR1255Aを過剰発現させると、神経新生、神経分化、脳発達に関係する多数の遺伝子が変化した。うつ病の一部に、成人期のストレス反応だけでなく、神経発達的な脆弱性が関与する可能性を示している。
双極症とcircHomer1
統合失調症と双極症に共通する有力候補が、circHomer1である。
circHomer1は、シナプス後部の足場タンパク質に関係するHOMER1遺伝子から、特殊なバックスプライシングによって作られる環状RNAである。HOMER1系はNMDA受容体や代謝型グルタミン酸受容体、SHANKなどと関係し、シナプスの恒常性を支えている。
統合失調症と双極症では、前頭前野と患者由来iPS神経細胞でcircHomer1が低下していた。一方、通常の直鎖状HOMER1 mRNAには大きな変化が認められなかった。同じ遺伝子座から作られるRNAでも、環状RNAには独立した機能があることを示している。
マウスの眼窩前頭皮質でcircHomer1を低下させると、グルタミン酸系を含むシナプス関連遺伝子が変化し、状況の変化に応じて行動を切り替える逆転学習、すなわち認知的柔軟性が障害された。
circHomer1の異常は、精神病症状そのものより、統合失調症と双極症に共通する認知機能障害や意思決定の硬直性に関係している可能性がある。
自閉スペクトラム症とPTCHD1-AS
非コードRNAと精神・神経発達疾患の関係を示す近年最も重要な報告の一つが、2026年に『Nature』へ掲載されたPTCHD1-AS研究である。
研究では、男性の自閉スペクトラム症9,349例と対照8,332例の全ゲノム配列が解析され、PTCHD1-ASを含むX染色体微小欠失をもつ男性27例が同定された。PTCHD1-AS領域の欠失は、自閉スペクトラム症のリスクと関連していた。
さらに、Ptchd1-asの一部を欠損させた2種類のマウスでは、社会行動とコミュニケーションの低下、反復行動、線条体シナプス可塑性の変化が認められた。また、オリゴデンドロサイト、アストロサイト、髄鞘形成に関係する分子経路も変化していた。
その一方で、複雑な学習や記憶は比較的保たれていた。この結果は、PTCHD1-ASが知的機能全般ではなく、自閉スペクトラム症の社会性や反復行動に比較的選択的に関係する可能性を示している。
もっとも、これは男性のごく稀な一群に関する知見であり、近傍にはDDX53など別の候補遺伝子も存在する。PTCHD1-ASを自閉スペクトラム症全体の原因とみなすことはできない。それでも、タンパク質を作らないlncRNAの欠失が、ヒトの行動特性、脳回路、シナプス機能を結びつけた点で画期的である。
miRNAの先にある新しい小分子RNA
非コードRNA研究は、miRNAやlncRNAだけにとどまらない。
2026年には、統合失調症53例、双極症40例、対照77例の前頭前野を用いて、小分子RNA全体を解析した研究が報告された。検出された小分子RNAの多くは、従来型のmiRNAだけではなく、isomiR、tRNA由来断片、rRNA由来断片、Y RNA由来断片だった。
統合失調症では、同定された小分子RNAの約15%に有意な量的変化があり、その一部は双極症でも共通していた。これらのRNAは、シナプス伝達、神経新生、記憶、認知に関係する遺伝子群と共発現していた。
これまで「RNAが分解された残り」と考えられていた断片が、実際には翻訳やストレス応答を調節している可能性がある。もっとも、現段階では、これらが病態を引き起こすのか、病態に反応して生じるのかは分かっていない。
血液で精神疾患を診断できるのか
非コードRNAは血液、血漿、血清、唾液、エクソソームにも存在する。特にcircRNAは構造的に安定しているため、診断や治療反応予測のバイオマーカーとして期待されている。 しかし、現時点で精神疾患の診断に利用できる非コードRNA検査はない。
脳内と末梢血で、同じRNAが同じ方向に変化するとは限らない。 血中RNAは白血球や血小板の構成、採血時刻、食事、運動、喫煙、感染、炎症、溶血の影響を受ける。抗精神病薬、抗うつ薬、リチウムなども発現量を変化させる。
さらに、測定装置、試料の保存方法、RNA抽出法、正規化の方法が研究ごとに異なる。小規模研究で高い診断精度が報告されても、別の集団では再現されないことが少なくない。 したがって、血中非コードRNAは現在のところ、臨床検査というより研究用の候補バイオマーカーである。
非コードRNAを薬にできるか
将来的には、過剰なmiRNAを抑えるantagomir、低下したmiRNAを補うmiRNA mimic、lncRNAを抑制するアンチセンスオリゴヌクレオチド、CRISPRを用いた発現調節などが考えられる。
ただし、精神疾患に応用するには大きな課題がある。 第一に、核酸医薬を血液脳関門の内側へ届ける必要がある。 第二に、脳全体ではなく、目的とする細胞だけに作用させる必要がある。 第三に、一つのmiRNAが数百の遺伝子を調節するため、治療効果と同時に予想外の遺伝子群まで変化する危険がある。 さらに、胎児期には必要なmiRNAが成人期には病的に作用するなど、発達段階によって適切な発現量が異なる可能性もある。
非コードRNAは、特定の受容体だけを遮断する従来薬より上流に位置する。それは大きな治療効果につながる可能性がある一方、広範な副作用を引き起こす可能性も意味している。現時点では、精神疾患に対する非コードRNA標的治療は前臨床段階であり、実用化された治療薬は存在しない。
非コードRNAが描き直す精神疾患の姿
非コードRNA研究がもたらした最大の変化は、精神疾患を「一つの神経伝達物質が不足する病気」から、遺伝子発現ネットワークの調節異常として捉え直したことにある。 遺伝的変異があっても、それだけで病気が発症するとは限らない。ストレス、感染、睡眠不足、薬物曝露、幼少期逆境などの環境要因も、単独で疾患を決定するわけではない。 非コードRNAは、その両者の間に位置する。
遺伝的素因や環境からの入力を受け取り、クロマチン、転写、スプライシング、翻訳、シナプス可塑性、免疫反応へと伝える。しかも、その働きは脳領域、細胞種、性別、発達段階によって変化する。 したがって、非コードRNAは精神疾患の新しい「原因物質」というより、遺伝子と環境を脳回路の変化へ翻訳する分子装置と表現する方が正確である。
かつて意味のない「ジャンク」と考えられていたゲノム領域の中に、精神疾患の複雑さを理解するための重要な手がかりが隠されていた。非コードRNA研究は、精神医学をタンパク質と神経伝達物質だけの学問から、遺伝子をいつ、どこで、どの程度働かせるかという「調節の医学」へ導こうとしている。
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