精神医学史としての〜M・フーコー:狂気の歴史〜
精神医学史としての〜M・フーコー:狂気の歴史〜
なぜ「狂気」だけが医学の手に委ねられたのか? ―「矯正不能性」という名の分岐点
現代のICDやDSMによる診断体系に慣れた私たちにとって、精神疾患を犯罪や貧困と混同することはまずありません。しかし、17世紀フランスの「大監禁」時代、それらはすべて「非理性」という一つの大きなカテゴリーに放り込まれていました。
では、なぜ「狂気」だけが、後にそこから抽出され、病院という特権的な場所へと移されたのでしょうか。その鍵は、当時の社会が試みた「矯正」の限界にありました。
では、なぜ「狂気」だけが、後にそこから抽出され、病院という特権的な場所へと移されたのでしょうか。その鍵は、当時の社会が試みた「矯正」の限界にありました。
1. 「非理性」の巨大な混合物
1656年に設立されたパリの一般病院(オピタル・ジェネラル)は、医療機関ではなく、都市の治安維持装置でした。そこには以下の人々が未分化に収容されていました。
- 浮浪者・怠惰な貧民: 労働の義務を怠る者
- 犯罪者: 法を犯す者
- 性病患者・放蕩者: 倫理を乱す者
- 狂人: 支離滅裂な言動をとる者
2. 「矯正」という名のフィルター
収容の目的は、彼らを社会に役立つ「理性的な主体」へと作り変えること、つまり「矯正(Correction)」にありました。貧困者には労働を、犯罪者には刑罰を、放蕩者には道徳的訓話を。
しかし、このプロセスを通じて、フーコの言う”ある種の「沈殿物」”が浮かび上がってきます。どれほど労働を強いても、どれほど罰を与えても、一向にその思考や行動が「正常(理性)」に戻らない人々――。それが、後の「精神病者」と呼ばれる人々でした。
しかし、このプロセスを通じて、フーコの言う”ある種の「沈殿物」”が浮かび上がってきます。どれほど労働を強いても、どれほど罰を与えても、一向にその思考や行動が「正常(理性)」に戻らない人々――。それが、後の「精神病者」と呼ばれる人々でした。
3. 矯正不能な存在の「医学化」
社会的な規律や道徳的な説得が全く通用しない、いわば「矯正不能な残余」。これこそが、狂気が他のカテゴリーから分離される決定的な理由となりました。
当時の理性主義社会にとって、理解不能・修正不能な存在は「恐怖」です。そこで社会は、彼らを「悪」として裁くことを諦め、「病気」という新たなラベルを貼ることで、その不可解さを中和しようとしたのです。
「彼は悪いのではない、病気なのだ」
当時の理性主義社会にとって、理解不能・修正不能な存在は「恐怖」です。そこで社会は、彼らを「悪」として裁くことを諦め、「病気」という新たなラベルを貼ることで、その不可解さを中和しようとしたのです。
このフレーズは一見人道的ですが、フーコーに言わせれば、それは「理性による管理の究極の形」でした。医学という科学的な「眼差し」によって、狂気は沈黙させられ、客体化(モノ扱い)されることになったのです。
ピネルが狂人の鎖を解いたとき、それは純粋な「解放」だったのでしょうか? それとも、物理的な鎖を、精神医学という「不可視の檻」に置き換えただけだったのでしょうか?
精神科医の、診断名をつけ、薬を処方する医療という行為が、「治療」であると同時に、社会的な「秩序の維持」という側面を持っていないか、常に考えてみる必要はあると思っています。精神医学の歴史は、常に「理性」と「非理性」の権力闘争の歴史でもあるからです。
精神科医の、診断名をつけ、薬を処方する医療という行為が、「治療」であると同時に、社会的な「秩序の維持」という側面を持っていないか、常に考えてみる必要はあると思っています。精神医学の歴史は、常に「理性」と「非理性」の権力闘争の歴史でもあるからです。
