知っておきたい脳の機能:①扁桃体
知っておきたい脳の機能:①扁桃体(コラム補完)
「恐怖中枢」を超えて 〜扁桃体研究の最前線
危険を感じたとき、私たちの心拍は速くなり、筋肉は緊張し、注意は脅威へと引きつけられる。この反応に深く関わる脳部位として、よく知られているのが扁桃体である。一般向けの説明では、扁桃体はしばしば「恐怖中枢」と呼ばれる。しかし、近年の研究が示す扁桃体の役割は、それほど単純ではない。 扁桃体は恐怖だけでなく、報酬、安全、好奇心、社会的関心、痛みの不快感などにも関与している。現在では、扁桃体は「恐怖を生み出す場所」というより、外界の出来事と身体内部の状態を照合し、「これは自分にとってどれほど重要か」を判断して、注意、学習、記憶、身体反応、行動に優先順位を与える神経系と考えられている。一つの器官ではなく、複数の神経核からなる複合体
扁桃体は、左右の側頭葉内側部にあるアーモンド形の構造である。ただし、一つの均質な器官ではなく、性質の異なる複数の神経核からなる「扁桃体複合体」である。- 基底外側扁桃体群(basolateral amygdala:BLA)は、大脳皮質、視床、海馬、前頭前皮質などから感覚情報や文脈情報を受け取り、「ある刺激の後に何が起こるか」を学習する。
- 中心核は、視床下部や中脳、脳幹へ信号を送り、心拍、発汗、ホルモン分泌、覚醒、すくみ、逃走などを調節する。
- 内側核や皮質核は、嗅覚、摂食、生殖、攻撃、社会行動に関わる。
- さらに介在細胞群と呼ばれる抑制性ニューロンは、基底外側部から中心核への情報の流れを調節し、危険反応を出すか抑えるかの切り替えに関与している。
感情ではなく「生物学的重要性」を評価する
現代の扁桃体研究で重要な概念が、サリエンスである。 サリエンスとは、ある刺激が注意や学習を向けるに値する「際立ち」や「重要性」を意味する。危険なものはもちろん重要だが、好ましい報酬、新奇な出来事、結果が予測できない状況、あるいは危険が去ったことを知らせる安全信号も重要である。 2026年に発表されたラット研究では、BLA内のドーパミン信号は、刺激が快か不快かという価値そのものより、情動的な強さ、不確実性、脅威の程度、周囲の刺激と比べた相対的重要性を反映していた。興味深いことに、危険信号だけでなく、安全信号に対しても大きな反応が認められた。安全を知らせる情報も、生存のためには学習すべき重要な情報だからである。 また、扁桃体が表す価値は固定されていない。喉が渇いているときには水の価値が高くなり、より魅力的な報酬が現れれば、それまでの評価尺度も更新される。つまり扁桃体は、刺激に永久不変の「快」「不快」という札を貼るのではなく、身体状態、過去の経験、周囲の選択肢に応じて、その時点での意味を計算している。危険を速く学び、安全を学び直す
扁桃体の代表的な働きは、脅威学習である。 例えば、最初は無害だった音の直後に電気刺激が繰り返されると、やがて音だけで身体が緊張するようになる。扁桃体は「音の後に危険が来る」という連合を形成し、次の危険に備えさせる。 2026年には、健康な人の扁桃体へ低強度の集束超音波を照射し、その活動を一時的に変化させる研究が報告された。扁桃体への刺激が加わると、脅威と結びついた合図を学ぶ初期過程が遅くなり、形成された反応はその後の消去訓練で弱まりやすくなった。この結果は、ヒトの扁桃体が危険を素早く学び、その記憶を持続させることを示す因果的証拠である。 ただし、消去学習とは、古い恐怖記憶を消し去ることではない。「以前は危険だったが、現在の状況では安全である」という新しい記憶を作り、古い記憶の表出を抑える過程である。 このとき、扁桃体だけでなく、状況や場所を記憶する海馬と、反応を再評価する前頭前皮質が重要になる。安全を学んだ場所とは異なる場所で恐怖が再び現れるのは、古い恐怖記憶が失われず、文脈に応じて再び表出するためである。これは、不安症やPTSDに対する曝露療法の効果と再発を理解するうえでも重要な点である。感情的な出来事を記憶に残す
扁桃体は、出来事の詳細を保存する記憶装置というより、「これは重要だから記憶に残せ」という信号を海馬や大脳皮質へ送る増幅器に近い。 2025年のヒト頭蓋内脳波研究では、不快な画像を見たときに生じた扁桃体の高周波活動パターンが、海馬の活動に反映され、翌日の想起時には海馬側で再び現れることが示された。扁桃体が出来事に情動的な重みを与え、海馬が「いつ、どこで、何が起きたか」という文脈を含む記憶として保持すると考えられる。強い感情を伴う経験が記憶に残りやすいのは、この協働による。ただし、重要な中心部分が強く残る一方、周辺の細部が必ずしも正確に保存されるとは限らない。報酬、リスク、社会的意味も計算する
扁桃体は、危険回避だけでなく、報酬に近づく行動にも関与する。 2025年のサルの単一神経記録では、扁桃体ニューロンが、報酬を得られる確率と報酬量を順番に表現し、さらに両者を統合して期待価値やリスクを表していた。扁桃体は「怖いかどうか」だけでなく、「どの程度期待できるか」「不確実性を引き受ける価値があるか」という意思決定にも参加しているのである。 社会的判断にも同じ仕組みが働く。私たちは相手の表情や視線を見て、近づくべきか、警戒すべきかを判断する。 2026年のヒト研究では、BLAへの集束超音波刺激後、中立的で曖昧な表情を幸福表情に近いものとして扱い、接近を選びやすくなった。これは、扁桃体が明白な恐怖表情を検出するだけでなく、意味の定まらない社会的情報を解釈することを示している。 また、サルを用いた研究では、BLAが「誰を見ているか」と「どの程度相手と関わっているか」を組み合わせ、社会的視線の意味を柔軟に表現することも示された。 さらに動物研究では、扁桃体から側坐核へ向かう経路が、痛みの感覚的な強さそのものより、「つらいので避けたい」という情動的・動機づけ的側面を調節することが分かってきた。慢性疼痛が気分や行動範囲を変化させる背景にも、このような回路が関与する可能性がある。身体反応と「怖い」という体験は同じではない
扁桃体は身体反応を強く動かすが、扁桃体の活動そのものが主観的な恐怖体験になるわけではない。 ヒトの扁桃体を電気刺激すると、皮膚電気反応の増大や心拍変化が起こる一方、本人が恐怖を自覚しない場合が多い。 反対に、両側の扁桃体が損傷した人でも、高濃度の二酸化炭素を吸入すると強い恐怖やパニックが起こり得る。 したがって扁桃体は、少なくとも単独では、意識的な恐怖の必要十分条件ではない。 扁桃体は外的脅威を評価し、注意と身体反応を準備するうえで重要だが、「私は怖い」と感じる体験には、身体内部の状態を表す島皮質、前帯状皮質、前頭前皮質、脳幹などを含む広いネットワークが関わると考えられる。 この区別は、外界の対象を恐れる恐怖症と、動悸や息苦しさなどの内受容感覚から始まるパニック発作の違いを考えるうえでも示唆的である。アストロサイトも感情と記憶を支えている
最新研究のなかでも特に注目されるのが、アストロサイトの役割である。アストロサイトは従来、ニューロンへ栄養を供給し、脳内環境を維持する「補助細胞」と考えられがちだった。 しかし2026年のマウス研究では、BLAのアストロサイトが恐怖状態や不安様状態を追跡し、そのカルシウム活動を操作すると、恐怖記憶の想起や消去、扁桃体―前頭前皮質回路の神経表現が変化することが示された。感情と記憶をニューロンだけで説明する従来のモデルは、修正を迫られている。「過活動」よりも、ネットワークの調整不全として考える
不安症やPTSDを「扁桃体が過活動になった病気」とだけ説明するのは不十分である。 重要なのは、危険と安全を区別する精度、曖昧な刺激への意味づけ、恐怖の般化、文脈に応じた安全記憶の想起、そして扁桃体、海馬、前頭前皮質、島皮質、線条体の間で情報が伝わるタイミングである。 同じ扁桃体活動の増加でも、それが危険の検出、安全の学習、報酬への期待のいずれを表すかで意味は異なる。そのため、扁桃体の画像だけから精神疾患を診断することはできない。 なお、扁桃体は狭義の「サリエンス・ネットワーク」そのものではない。サリエンス・ネットワークの中核は前部島皮質と背側前帯状皮質である。扁桃体が刺激に情動的・生物学的な重みを与え、海馬が文脈を、前頭前皮質が現在の目標や再評価を加え、島皮質が身体内部の状態を伝える。これらの協働によって、脳は何に注意し、何を記憶し、どのように行動するかを決める。扁桃体を「恐怖中枢」と呼ぶ説明は、分かりやすいが、現在の知見を十分には表していない。 扁桃体とは、経験に生物学的な重みを与え、それを学習、記憶、身体反応、意思決定へ変換する、柔軟で可塑的なハブなのである。
参考文献
- Brickner MA, Szot WE, Wolff AR, et al. “Basolateral amygdala dopamine transmits emotional salience.” Nature Communications. 2026;17:7623. ラットBLA内のドーパミン信号は、報酬か罰かという価値の方向や連合の強さより、刺激の情動的強度、不確実性、脅威の程度、相対的サリエンスを反映した。安全信号にも強く反応し、重要な情動情報の識別を支えると考えられた。
- Hinz J, Mahn M, Müller S, et al. “Stimulus-specific and adaptive value representations in the basolateral amygdala in male mice.” Nature Communications. 2025;16:5239. 雄マウスのBLAを二光子カルシウム画像法で観察した研究。水やショ糖は異なる細胞集団に表現され、その活動は渇き、嫌悪経験、より価値の高い報酬の出現によって変化した。BLAが身体状態に応じて報酬価値を柔軟に更新することを示す。
- O’Neill PK, Posani L, Meszaros J, et al. “The representational geometry of emotional states in basolateral amygdala.” Nature Neuroscience. 2026;29:1654–1666. 仮想的な巣穴環境に置いたマウスのBLA活動を記録した。個々のニューロンは、刺激の種類、快・不快、恐怖、安全行動など複数の情報を混合して表現していた。一方、集団活動の幾何学的構造からは、各情動状態を分離して読み出すことができた。
- Meijer S, Carpino E, Kop BR, et al. “The human amygdala in threat learning and extinction.” Science Advances. 2026;12(13):eaea8233. 健康成人の両側扁桃体へ経頭蓋集束超音波刺激を加え、脅威条件づけを検討した。刺激によって脅威学習の初期形成が遅れ、形成された反応は消去されやすくなった。ヒト扁桃体が脅威を素早く学び、その記憶を持続させることを示した因果的研究である。
- Sonkusare S, Ding Q, Weirich C, et al. “Adaptive shifts in amygdala–hippocampal theta coupling govern aversive learning and extinction.” Nature Communications. 2026;17:7835. てんかん患者の扁桃体と海馬から頭蓋内脳波を記録し、脅威学習と消去を調べた。両領域の情報伝達は固定的ではなく、低θ波と高θ波で方向が異なり、学習から消去への移行に伴って再編された。情動記憶が双方向通信によって調節されることを示す。
- Costa M, Pacheco-Estefan D, Gil-Nagel A, et al. “Human hippocampal reactivation of amygdala encoding-related gamma patterns during aversive memory retrieval.” Nature Communications. 2025;16:6820. てんかん患者の扁桃体と海馬を直接記録し、不快画像の記憶形成と24時間後の想起を調べた。記銘時の扁桃体高γ活動が海馬へ反映され、想起時には海馬で再活性化された。扁桃体が情動的重みを与え、海馬が記憶を保持するという役割分担を示唆する。
- Saito Y, Osako Y, Odagawa M, et al. “Amygdalo-cortical dialogue underlies memory enhancement by emotional association.” Neuron. 2025;113(6):931–948.e7. マウスの知覚学習課題に情動情報を加え、記憶増強の機序を検討した。情動との結びつきは、ノンレム睡眠中の扁桃体―前頭皮質回路の協調的再活性化を増加させた。この経路を睡眠中に抑制すると記憶増強が失われ、睡眠中の回路間対話の必要性が示された。
- Grabenhorst F, Báez-Mendoza R. “Dynamic coding and sequential integration of multiple reward attributes by primate amygdala neurons.” Nature Communications. 2025;16:3119. 2頭のサルから483個の扁桃体ニューロンを記録した。ニューロンは視覚刺激の違いを超えて報酬確率を抽象的に表現し、続いて報酬量を符号化した。さらに両者を統合し、期待価値とリスクを区別して表現する細胞も確認された。
- Algermissen J, Rascu M, Weber LA, et al. “Low-intensity focused ultrasound to human amygdala reveals a causal role in ambiguous emotion processing and alters local and network activity.” Neuron. 2026;114(7):1269–1289.e8. 健康成人29人を対象に、BLA、島皮質、偽刺激を比較した。BLA刺激後には局所の興奮・抑制バランスと機能的結合が変化し、中立的で曖昧な表情を幸福表情に近いものとして扱い、接近しやすくなった。BLAが情動的曖昧さの解決に関与すると示した。
- Qi G, Dal Monte O, Fan S, et al. “Compositionality of social gaze in the prefrontal-amygdala circuits.” Nature Communications. 2026;17:7478. 向かい合って自由に視線を交わすサルから、BLAと前頭前皮質の神経活動を記録した。BLAと前帯状皮質は、視線の対象と社会的関与の程度を、互いに干渉しにくい抽象的形式で表現していた。扁桃体が社会的視線の要素を組み合わせることを示す。
- Wojick JA, Paranjapye A, Chiu JK, et al. “A nociceptive amygdala-striatal pathway modulating affective-motivational pain.” Science Advances. 2025;11(30):eado2837. マウスBLA内の侵害刺激反応性細胞と側坐核への投射を解析した。この神経集団や投射経路を抑制すると、急性痛および神経障害性疼痛に伴う回避行動が軽減した。扁桃体―線条体回路が、痛みの感覚強度より「不快で避けたい」という側面を担うことを示す。
- Inman CS, Bijanki KR, Bass DI, et al. “Human amygdala stimulation effects on emotion physiology and emotional experience.” Neuropsychologia. 2020;145:106722. 頭蓋内電極を留置したてんかん患者9人で、扁桃体刺激による身体反応と主観的感情を調べた。刺激は皮膚電気反応を増加させ、心拍を低下させたが、恐怖などの主観的感情はまれだった。扁桃体による自律反応と意識的感情体験が乖離し得ることを示した。
- Feinstein JS, Buzza C, Hurlemann R, et al. “Fear and panic in humans with bilateral amygdala damage.” Nature Neuroscience. 2013;16(3):270–272. 両側扁桃体損傷をもつ3人に35%二酸化炭素を吸入させたところ、全員に強い恐怖またはパニックが生じた。外界の脅威による恐怖には扁桃体が重要だが、身体内部から生じる恐怖には別経路が存在し、扁桃体がすべての恐怖体験に必須ではないことを示した。
- Bukalo O, O’Sullivan R, Tanisumi Y, et al. “Astrocytes enable amygdala neural representations supporting memory.” Nature. 2026;652(8109):434–441. マウスBLAのアストロサイトを生体カルシウム画像法で観察し、操作実験も行った。アストロサイトは恐怖状態を追跡し、そのCa²⁺信号を妨げると、恐怖記憶の想起・消去に対応するニューロン活動とBLA―前頭前皮質への情報伝達が損なわれた。
- Ghenissa O, Guayasamin M, Ngo K, et al. “Basolateral amygdala astrocytes encode anxiety states.” Neuron. 2026;114(14):2623–2640.e7. マウスBLAのアストロサイトと主ニューロンの活動を、不安を誘発する複数の課題で比較した。主ニューロンよりアストロサイト集団の方が、場所や課題を超えて不安様状態を安定して表現した。アストロサイト活動の操作で不安行動も変化し、状態形成への関与が示された。
