生物史のブレイクスルー ③ 環境制約からの自立と情報継承の高度化
Evolutionary Breakthrough Series
生物史のブレイクスルー ③ 環境制約からの自立と情報継承の高度化
環境を身体の内側へ取り込み、適応を文化へ外在化する
生物は環境から独立して生きることはできない。酸素、水、栄養、適切な温度は、どの生物にも必要である。本稿でいう「環境制約からの自立」とは、外界の変動を身体内部の調節機構によって緩衝し、活動できる場所と時間を拡大することを意味する。
肺は水中の酸素濃度への依存を減らし、羊膜は胚発生を池や海から切り離した。内温性は活動を外気温からある程度解放し、道具と火は身体だけでは利用できなかった環境を生活圏へ変えた。
そして言語と文化は、適応に必要な情報を遺伝子だけでなく、他者、集団、道具、記録媒体へ保存することを可能にした。
この過程は「魚から人間へ」という一直線の進歩ではない。爬虫類・鳥類へ向かう系統と哺乳類・人類へ向かう系統は早くに分岐しており、それぞれが異なる方法で環境制約に対処してきた。本稿では、複数の系統で起きた革新を、外部環境の機能を身体内へ取り込み、最後には身体の外へ情報を蓄積していく過程として捉えてみたい。
陸上進出 〜一度の「上陸」ではなかった
脊椎動物が陸上へ進出する以前に、菌類、植物、節足動物などはすでに陸上生態系を形成していた。そこへ脊椎動物が進出するには、単に鰭を脚へ変えるだけでは不十分だった。
水中では浮力が身体を支え、鰓は水に溶けた酸素を取り込む。排泄物は周囲の水へ拡散でき、卵や幼生も乾燥しない。
一方、陸上では自重を骨格と筋肉だけで支えなければならず、鰓は乾燥して機能を失う。皮膚や呼吸器から水が失われ、感覚器も水中とは異なる物理条件に置かれる。光の屈折、音の伝わり方、匂い物質の拡散が変わるため、上陸とは身体の移動であると同時に、感覚世界全体の再編であった。
肺は、上陸後に突然生まれた器官ではない。
陸上脊椎動物の祖先に近い硬骨魚類では、酸素の乏しい浅瀬で空気を利用する器官がすでに発達していた。肺魚のゲノムにも、肺サーファクタント、嗅覚、鰭から四肢への発生制御など、後の陸上生活に転用された仕組みが認められる。陸へ出る必要が生じてから肺を作ったのではなく、水中で別の役割を果たしていた器官が陸上呼吸へ転用されたのである。
四肢についても同様である。
約3億7500万年前のティクターリクの胸鰭には、上腕、肘、手首に相当する関節があり、浅瀬の底で身体を支えることができた。しかし、指をもつ初期四肢動物アカントステガは主として水生であり、八本の指も陸上歩行ではなく水中での移動に使われたと考えられる。指や四肢は「陸を歩くため」に完成したのではなく、まず浅瀬で身体を押し、姿勢を変えるために発達し、その後、重力下で体幹を支える構造へ変化した。
さらに、脊柱、肋骨、肩帯、骨盤、関節、肺循環、皮膚の角化、脂質性バリア、腎臓の水分保持機能が段階的に組み替えられた。水流を感じる側線の重要性は低下し、空気中の音を内耳へ伝える中耳が発達した。
陸上進出は、一匹の魚が水辺から歩き出した出来事ではなく、浅瀬と陸を往復する生活の中で、複数の器官が異なる速度で変化したモザイク進化であった。
羊膜 〜発生環境を身体の側につくる
成体が陸上で活動できても、殻のない卵や幼生を水中へ置かなければならない限り、生活史全体は水辺に拘束される。現在の多くの両生類が、陸上で生活しながら繁殖期には水辺へ戻るのはそのためである。
この制約を大きく変えたのが羊膜類の成立だった。羊膜は胚を液体に包み、漿膜は外界との交換面となる。卵黄嚢は栄養を供給し、尿膜は老廃物の貯留とガス交換に関与する。これらの胚膜に内受精と卵殻が組み合わさることで、胚は海や池の中ではなく、卵の内部で発生できるようになった。
「羊膜卵」という言葉から硬い殻の鳥卵を思い浮かべやすいが、本質は殻の硬さではない。軟らかい殻の卵もあり、哺乳類のように卵殻を失って胎生化した系統もある。重要なのは、羊膜、漿膜、尿膜などが、従来は外部の水環境が担っていた保護、呼吸、栄養、排泄の機能を、胚発生システムの内部へ移したことである。哺乳類でも、これらの胚膜は胎盤や臍帯を構成する仕組みへ改変されている。
羊膜は、しばしば「携帯できる小さな水環境」と表現される。ただし、羊水は海水をそのまま閉じ込めたものではない。この比喩が示しているのは、胚の周囲に必要な液体環境を自ら作り、調節できるようになったということである。
これにより脊椎動物は、水辺から離れた乾燥地や内陸部で世代交代できるようになった。爬虫類、鳥類、哺乳類の多様化は、この生殖上の革新に支えられている。
一方で、胚を保護し、卵または母体内で長期間育てることは、親側の負担を増大させる。環境からの自立は、発生を母体や卵の内部へ取り込むという新しい依存関係でもあった。
内温性 〜温度を体内でつくる
動物の活動は温度に強く影響される。外温動物は主として外部の熱源を利用するため、少ないエネルギーで生きられる一方、活動時間が気温や日照に左右されやすい。これに対して内温動物は、代謝によって生じる熱を主要な熱源とし、外気温が低い時間帯や地域でも活動できる。
ここで、内温性と定温性を区別する必要がある。内温性は「熱をどこから得るか」を示し、定温性は「体温の変動が小さいか」を示す。大型の外温動物は熱慣性によって比較的安定した体温を保つことがあり、内温動物でも冬眠や日内休眠では体温を大きく低下させる。「温血動物」と「冷血動物」という二分法は、実際の多様性を単純化しすぎている。
内温性は、哺乳類へ向かう単弓類の系統と、恐竜・鳥類へ向かう主竜類の系統で、独立かつ段階的に発達したと考えられる。骨の成長速度、卵殻の同位体、化石分子、寒冷地からの化石などは、多くの恐竜が現生爬虫類より高い代謝能力を備えていたことを示唆する。しかし、すべての恐竜が現生鳥類と同じ代謝様式だったとは限らず、系統や体サイズによる幅があった可能性が高い。
代謝熱を利用するには、熱を逃がさない断熱材が必要になる。哺乳類では毛が、恐竜・鳥類系統では羽毛がその役割を担った。飛べない恐竜にも羽毛や繊維状の体表構造が存在したことから、羽毛は飛翔以前に成立し、断熱、感覚、誇示、抱卵などに使われた後、翼の飛行面へ転用されたと考えられる。
内温性は、夜間、寒冷地、季節変動の大きな地域への進出を可能にし、持続的な運動、長い育児、高い神経活動を支えた。しかし、その代償として大量の酸素と食物を必要とする。温度への依存を減らすことは、エネルギーと水への依存を増やすことでもあった。
直立型肢勢と気嚢 〜恐竜の繁栄をもたらす、素早さと呼吸効率
主竜類の一部では、肢を体幹の横へ張り出す姿勢から、体幹の下に置く直立型肢勢への変化が進んだ。これは「脚が体幹に対して直角に伸びた」というより、四肢が身体の下へ降り、前後方向に近い平面で動く構造である。
直立型肢勢では、地面から受ける力が骨や関節の軸に近づき、重い体を支える際の曲げ応力が小さくなる。歩幅を広げ、体幹の左右への揺れを減らし、持続的な歩行と素速い動きをするうえで有利になる。このことは、恐竜類の繁栄に大きく寄与した。
ただし、この姿勢は恐竜だけの発明ではない。主竜類の複数系統で異なる骨盤構造によって成立し、哺乳類でも別の進化過程を通じて体幹下に四肢を置く姿勢が発達した。
また、主竜類に祖先的な効率のよい肺内気流が存在し、その後に、獣脚類や竜脚形類で気嚢と骨格の含気化が発達した可能性がある。
実際、ペルム紀末大量絶滅後の相対的な低酸素環境では、主竜類に祖先的に備わっていた一方向性の肺内気流が、呼吸負荷を軽減し、活動性を維持するうえで有利に働いた可能性が大きい。
のちに気嚢に発展してゆくこの呼吸システムは高い活動性、軽量化、長頸化や巨大化を支え、恐竜の一部系統の適応放散を促したと考えられる。ただし、最初期恐竜に骨格へ侵入する気嚢の明確な証拠はなく、また恐竜全体の繁栄を気嚢だけで説明することはできない。
鳥類へつながる系統では、この呼吸システムにも独特の革新が起きた。
現生鳥類の肺は硬く、ほとんど膨張しない。その前後に配置された気嚢がふいごのように動き、吸気時にも呼気時にも、肺の細い管へ一定方向の空気を送り続ける。気嚢そのものは主要なガス交換部位ではなく、肺を換気する装置である。この方式は、高い酸素需要を支え、持続運動や飛翔に有利となる。
直立型肢勢、内温性、羽毛、気嚢は、一度に完成した一組の装置ではない。別々の目的で成立した形質が後に組み合わされ、恐竜類の、持続走行、大型化、飛翔などへ転用されたのである。
直立二足歩行 〜手を自由にしただけではない
人類の系統で最初に起きた大きな変化は、脳の大型化や言語ではなく、常習的な直立二足歩行であった。確実な二足歩行の証拠は少なくとも400万年以上前に遡り、それより古いヒト族にも二足歩行を示唆する骨格がある。約366万年前のラエトリ遺跡には、すでに確立した二足歩行を示す足跡が残されている。
ただし、樹上生活から地上生活へ一挙に移ったわけではない。初期ヒト族は、地上で二足歩行を行いながら、木登りに適した上肢や足の特徴も保持していた。二足歩行そのものにも複数の様式があり、現在の人間と同じ歩き方が最初から完成していたわけではない。
常習的二足歩行には、短く幅広い骨盤、腰椎の弯曲、内側へ傾く大腿骨、膝関節、足部の縦・横アーチ、他の趾と並んだ母趾など、多数の形態変化が必要である。近年の発生学的研究では、ヒトの幅広い腸骨が、成長板の方向と骨化時期の変化によって形成されることも示されている。
二足歩行の利点を一つに決めることはできない。長距離移動の効率、日射面積の減少、食物や子の運搬、高い位置からの見通し、立位での採食など、複数の要因が関係したと考えられる。
「二足歩行によって手が解放された」という説明も、半分は正しいが、半分は単純化である。霊長類の把握手、爪、精密な触覚、視覚と手の協調は、二足歩行以前から樹上生活の中で発達していた。二足歩行は、地上移動中の手を支持から外し、運搬、道具操作、身振りに使う機会を増やしたのである。
最古級の石器は約330万年前に遡り、ホモ属の出現や著しい脳大型化より古い。したがって、二足歩行、手の解放、石器、脳の大型化が一方向に並んだのではない。歩行、手、道具、食物、集団行動が、互いの進化を促す循環を形成したのである。
二足歩行にも代償があった。腰椎、股関節、膝、足部に体重が集中し、腰痛、変形性関節症、足部障害などの素地となる。骨盤は歩行の安定性、内臓の支持、胎児の通過という複数の要求を同時に満たさなければならない。新しい自由は、必ず新しい制約を伴う。
火と調理 〜体外に置かれた代謝装置
火の利用は、人類が身体の外部に獲得した新しいエネルギー代謝ともいえる。
火は食物を軟らかくし、デンプンやタンパク質を消化しやすくし、毒性物質や病原体を減らす。咀嚼と消化の一部を身体の外へ移すことで、同じ食物から得られる正味のエネルギーを増やす可能性がある。
さらに火は、暖房、照明、捕食者からの防御、道具素材の加工を可能にし、寒冷地や暗い洞窟を生活圏に変えた。夜間の活動時間を延ばし、人々が同じ場所へ集まる社会的な中心にもなった。
人類がいつから火を日常的に制御し、いつから調理を始めたかについては議論がある。
約100万年前に遡る可能性のある証拠もあるが、自然火との区別が難しい遺跡も多い。調理が脳大型化の直接原因であったと一つの因果関係に還元することもできない。それでも火の利用が、環境へ身体を適応させるだけでなく、身体に合うよう環境を作り替える「ニッチ構築」の重要な段階だったことは間違いない。
言語 〜一つの遺伝子ではなく、脳・身体・他者の結合
言語は、脳が大きくなった結果として自動的に生まれた能力ではない。発話には呼吸、喉頭、舌、口唇を精密に制御する運動系が必要である。音を聞き分けて運動へ変換する聴覚運動系、語を保持する記憶、文の続きを予測する能力(推論)、対象を象徴で置き換える能力(抽象化)、他者の注意や意図を理解する能力(社会認知)も必要になる。
FOXP2の変異が重い発話・言語障害を起こすことから、かつてFOXP2が「言語遺伝子」と呼ばれることがあった。しかしFOXP2は多数の遺伝子を調節し、運動学習や神経回路形成にも関係する転写因子である。言語を単独で作り出す遺伝子ではない。言語能力は、多数の遺伝子、脳領域、発声器官、発達環境、社会的相互作用の組み合わせによって成立する。
言語が約5万年前のホモ・サピエンスに突然完成したという「認知革命」説も慎重に扱う必要がある。現代人型のFOXP2配列の一部はネアンデルタール人にも共有され、発声や聴覚に関係する解剖学的特徴も段階的に形成されていた。ネアンデルタール人が現代人と同じ言語を話したかは証明できないが、言語の構成要素がホモ・サピエンスだけに突然出現したとは考えにくい。
ただ、現代人にみられる、抽象的・階層的で高い生成力をもつ言語能力が、ホモ・サピエンスにおいて例外的な水準へ達したことは確実である。
また考古学的記録からは、ホモ・サピエンスが言語、象徴、教示、広域的な社会ネットワークを結び付け、累積文化を他の人類より大きな規模で発達させた可能性が示唆される。ただし、ネアンデルタール人の言語が具体的な原言語にとどまったことや、再帰的統語能力を欠いていたことは証明できない。両者の違いは、言語の有無という二分法より、抽象性、生成力、伝達精度、社会的利用範囲の程度と統合の違いとして捉えるのが妥当である。
言語はホモ・サピエンスの成功に寄与した可能性があるが、ネアンデルタール人の消失を説明する複数要因の一つと位置付けるべきである。
言語の本質は、音声そのものではない。手話も完全な言語であり、世代を越えて語彙と文法を発達させる。ニカラグアの聾児集団では、子どもたちが共有した身振りが、次の世代で分節化され、再結合可能な体系的手話へ発達した。
人間は言語を学び、構造化する生物学的能力をもっている。しかし、実際の言語は個人の脳内だけで完成するのではなく、人々の相互作用と世代を越えた伝承のなかで形成される。言語とは、生物学的能力と文化的継承が共同して生み出す社会的な体系なのである。
言語によって、人間は目の前にない物、過去と未来、仮定、他者の心、集団の規範を共有できるようになった。「あそこに獲物がいる」だけでなく、「明日、皆であの谷へ行く」「この道具はこの順序で作る」「この行為をしてはならない」と伝えられる。言語は情報伝達の量を増やしただけでなく、共同計画、教育、規範、大規模協力を可能にした。
累積文化 〜経験が個体の死を越える
社会学習や文化は人間だけのものではない。霊長類、クジラ、鳥類などにも、採食法、道具使用、歌、移動経路を他個体から学び、集団ごとに異なる行動を保つ例がある。近年は、チンパンジーやマルハナバチが、単独では発見できなかった複数段階の技能を、熟練個体の観察によって習得できることも示されている。
したがって、人間と他の動物の違いを「文化があるか、ないか」という二分法で捉えることはできない。人間で際立っているのは、模倣、共同注意、教示、言語、分業、大規模な社会的ネットワークを組み合わせ、改良を多数の世代にわたって蓄積できる規模と開放性である。
一人の人間が一生の間に、石器、農耕、航海、医学、コンピューターを独力で再発明することはできない。
各世代は前の世代が到達した地点から出発し、一部を改良して次世代へ渡す。この後戻りしにくい累積過程は「ラチェット効果」と呼ばれる。石器製作を用いた伝達実験でも、単なる観察に比べ、教示、とりわけ言語を伴う教示が、複雑な技能の正確な継承を助けることが示されている。
人間の長い幼年期も、この文化的適応を支えている。
長期間にわたって親や集団から保護され、言語、道具、規範、社会的役割を学ぶことで、成体になる前に膨大な文化情報を取り込む。未成熟な状態で生まれることは弱点である一方、生活環境に合わせて脳と行動を形成できる柔軟性でもある。
文化情報は、親から子への垂直伝達だけでなく、同世代間の水平伝達、教師や年長者からの斜行伝達によっても広がる。さらに文字、図、数式、地図、書籍、デジタル記録によって、情報は個人の脳から離れ、本人の死後や、まだ生まれていない世代へ伝えられるようになった。適応に必要な情報の一部が、ゲノムの外部へ保存されたのである。
文化は生物学的進化と無関係ではない。牧畜と搾乳の文化は、成人後も乳糖を分解できるラクターゼ持続形質に選択圧を与えた。古代DNA研究では、乳利用が始まった直後からラクターゼ持続が一般的だったわけではなく、飢饉や感染症流行時に、生乳を消化できないことの不利益が選択を強めた可能性も示されている。
人間が作った文化的環境が、再び人間の遺伝的進化を変える。これが遺伝子―文化共進化である。
もちろん、文化情報は常に有益とは限らない。誤った信念、差別、争い、不健康な生活習慣も社会的に伝達される。遺伝子より速く広がることは、適応的情報だけでなく不適応な情報も急速に拡散することを意味する。文化は人類を環境制約から解放すると同時に、人間を文化環境へ深く依存させた。
自立とは、依存先を組み替えることである
肺は呼吸を水から空気へ移し、四肢は浮力に代わって身体を支えた。
羊膜は胚発生に必要な液体環境を内部化し、内温性は熱源を代謝の中へ取り込んだ。
直立型肢勢と効率的な呼吸は持続運動を可能にし、二足歩行は手の利用範囲を広げた。
火と道具は身体機能の一部を外部へ移し、言語と文化は適応情報を個体の脳と寿命の外へ保存した。
医学でいう恒常性も、外界を消す仕組みではない。外界が変化しても、呼吸、循環、腎機能、体温調節を通じて体内条件を一定範囲に保つ仕組みである。生物史における環境制約からの自立も、これとよく似ている。外界への依存を、身体内部の調節機構への依存へ置き換えたのである。
人類では、さらに他者、言語、教育、制度への依存が加わった。
人間は、遺伝子だけで完成する個体ではない。多数の他者が蓄積した知識を受け取り、それを次世代へ渡すことによって、人間としての能力を発揮する。環境から最も大きな自由を得た生物が、同時に最も深く社会と文化へ依存する生物になったのである。
生命史のブレイクスルーは、単純な高等化の階段ではない。エネルギー、遺伝、個体性の基盤が作られ、感覚と運動が生物同士の関係を複雑化し、環境調節と文化的継承が適応の範囲を拡大した。
新しい自由は必ず新しい代償と依存を生む。その依存先を組み替えながら、生物は利用できる世界を広げてきたのである。
おわりに 〜進化とその代償、そして未来へ
生命史において、自由の獲得は決して無償ではなかった。
- 酸素呼吸は大量のATPを供給して活発な運動を可能にしたが、生物を酸素の存在に依存させ、活性酸素による損傷という問題も生んだ。
- 多細胞化は大型化と器官の分業を実現した一方、膨大な細胞の協力を維持する制御を必要とし、その秩序が破れれば癌という細胞レベルの反乱が生じうる。
- 陸上進出は水中という生活圏から動物を解放したが、乾燥への対策と、重力に逆らって身体を支える骨格を要求した。
- 内温性は外気温に左右されにくい持続的な活動を可能にしたが、体温を保つために大量の食物と酸素を消費する。
- 人類の直立二足歩行は手を移動から解放し、道具の運搬と操作を促した一方、脊椎、股関節、膝に新しい力学的負担を課し、腰痛などへの脆弱性を高めた。
- 大きな脳と言語は、知識を共有し世代を越えて蓄積する自由をもたらしたが、長い養育期間と、他者や共同体に支えられなければ生きられない依存を強めたのである。
このように、進化上のブレイクスルーとは制約の消滅ではない。それは、古い制約から離れる代わりに、別の資源、構造、共同体へ依存先を移すことであった。技術もまた、人間の能力を拡張するほど、それなしでは暮らせない新しい環境を作り出す。
次の人類史におけるブレイクスルーは、AI革命なのだろうか。もしそうであれば、AIがもたらす自由は、どのような新しい代償や依存をもたらすのだろうか?我々は今、その課題について、真剣に考えておく必要がありそうである。
参考文献
- Meyer A, et al. Giant lungfish genome elucidates the conquest of land by vertebrates. Nature. 2021. オーストラリアハイギョの巨大な染色体規模ゲノムを解読した研究。ハイギョが四肢動物に最も近い現生魚類であることを確認し、肺サーファクタント、空気中の匂い受容、肉鰭の発生に関わる遺伝子変化を示した。上陸前の前適応を示すが、ハイギョが四肢動物の直接祖先という意味ではない。
- Shubin NH, et al. The pectoral fin of Tiktaalik roseae and the origin of the tetrapod limb. Nature. 2006. デボン紀後期のTiktaalikの胸鰭を比較解剖した研究。上腕骨・橈骨・尺骨に続く手首様の骨と可動関節を備え、水底で体を支えられたと推定した。四肢が魚類の鰭にあった構造の増殖と再編から生じたことを示す。ただし指はなく、陸上を歩いていたことを直接証明するものではない。
- Coates MI, Clack JA. Polydactyly in the earliest known tetrapod limbs. Nature. 1990. 後期デボン紀の四肢動物化石を再検討し、Acanthostegaの前肢に8本、Ichthyostegaの後肢に7本の指を同定した。初期四肢動物の祖先的状態が五指ではなかったこと、指を備えた肢がまず水中生活に利用された可能性を示す。したがって、指の出現を直ちに陸上歩行の開始とはみなせない。
- Jiang B, et al. Extended embryo retention and viviparity in the first amniotes. Nature Ecology & Evolution. 2023. 白亜紀の水生爬虫類Ikechosaurusの卵内胚化石を記載し、現生・化石羊膜類の繁殖様式を系統解析した研究。胚を長く体内に保持する性質と胎生が、最初期羊膜類の祖先的状態だった可能性を提案した。硬い殻の卵を出発点とする従来像を再検討するが、化石の偏りと祖先状態推定に依存する仮説である。
- Wiemann J, et al. Fossil biomolecules reveal an avian metabolism in the ancestral dinosaur. Nature. 2022. 現生・化石羊膜類の骨をラマン分光法と赤外分光法で分析し、代謝に伴う脂質酸化生成物から代謝率を推定した。恐竜と翼竜の共通祖先ですでに内温性と整合する高代謝が成立し、一部の鳥盤類では後に低下したと結論した。ただし、分子指標の長期保存性や代謝率への換算方法には議論がある。
- Xu X, Zheng X, You H. Exceptional dinosaur fossils show ontogenetic development of early feathers. Nature. 2010. 発育段階の異なる幼体Similicaudipteryx 2標本の翼羽と尾羽を比較した。若齢個体では羽毛の根元側がリボン状だったのに対し、より成長した個体では全面に羽弁が形成されていた。初期の羽毛発生が現生鳥類より多様だった可能性を示すが、若齢標本を換羽途中の筆毛と解釈する異論もある。
- O’Connor PM, Claessens LPAM. Basic avian pulmonary design and flow-through ventilation in non-avian theropod dinosaurs. Nature. 2005. 現生鳥類と非鳥類型獣脚類の椎骨の含気化を部位別に比較し、Majungatholusの胸郭も解析した。頸部・腹部気嚢と鳥類型の呼吸ポンプを支える骨格的条件が、基盤的獣脚類にも存在したと推定した。鳥類型の肺設計が飛翔より前に成立していた可能性を示すが、気嚢や実際の気流は骨格痕からの復元である。
- Aureliano T, et al. The absence of an invasive air sac system in the earliest dinosaurs suggests multiple origins of vertebral pneumaticity. Scientific Reports. 2022. 約2億3300万年前の最古級恐竜3種の椎骨をマイクロCTで調べ、気嚢が骨内へ侵入したことを示す孔や規則的空洞を認めなかった。脊椎の含気化は翼竜、獣脚類、竜脚形類で少なくとも3回独立に生じたと提案する。ただし、骨へ侵入しない祖先的な気嚢や肺の共有までは否定していない。
- Senevirathne G, et al. The evolution of hominin bipedalism in two steps. Nature. 2025. ヒト胚の腸骨を、霊長類との組織比較、単一細胞マルチオミクス、空間的遺伝子発現解析によって調べた。腸骨を横へ広げる成長板の90度転向と、後方から始まり遅延する骨化という二つの発生学的革新を同定した。二足歩行が二つの年代的段階で完成したことを化石から実証した研究ではない。
- Harmand S, et al. 3.3-million-year-old stone tools from Lomekwi 3, West Turkana, Kenya. Nature. 2015. ケニアのLomekwi 3で地層中に残る石器群を発掘し、古地磁気や火山灰層序から約330万年前と年代づけた。大型の石核、剥片、台石は、打撃と意図的な石核剥離の組み合わせを示す。オルドワン石器より約70万年古い「ロメクウィアン」を提唱したが、製作者がどの人類種だったかは分かっていない。
- Lai CSL, et al. A forkhead-domain gene is mutated in a severe speech and language disorder. Nature. 2001. 三世代にわたり重い発話・言語障害が優性遺伝するKE家系と、類似症状をもつ別症例を遺伝解析した。前者でFOXP2のミスセンス変異、後者で同遺伝子を切断する染色体転座を同定し、発話と言語の発達への関与を示した。特殊な家系と一症例の研究であり、FOXP2を「言語を決める遺伝子」とみなす根拠ではない。
- Senghas A, et al. Children Creating Core Properties of Language: Evidence from an Emerging Sign Language in Nicaragua. Science. 2004. 成立過程にあったニカラグア手話について、異なる時期に学び始めたろう者が運動事象をどう表すかを比較した。後続世代ほど、移動の様態と経路を要素に分け、一定の順序で再結合する傾向が強かった。子どもが言語を構造化する役割を示すが、生得文法や言語全体の成立を直接証明した研究ではない。
- Morgan TJH, et al. Experimental evidence for the co-evolution of hominin tool-making teaching and language. Nature Communications. 2015. 現代成人184人にオルドワン型石器製作を連鎖的に伝えさせ、完成品、観察、基本的教示、身振り、発話の5条件を比較した。教示、とくに発話を許す条件で石片の質と製作効率が向上した。技術と高精度な伝達の共進化仮説を支持するが、先史人類の言語や遺伝的進化を直接実証したものではない。
- Evershed RP, et al. Dairying, diseases and the evolution of lactase persistence in Europe. Nature. 2022. 欧州550か所以上の遺跡から得た約7000点の土器脂質、古代DNA、UK Biobankの情報を統合した。乳利用は新石器時代から広かったが、その頻度だけではラクターゼ持続性の急増を説明できなかった。飢饉や感染症流行時に非持続者の不利益が増したというモデルを提示するが、疾病と飢饉は代理指標に基づく推定である。
