次世代に伝えたい偉人伝⑤:『ミッシェル・フーコー』 〜知と権力の解析者

次世代に伝えたい偉人伝⑤:『ミッシェル・フーコー』 〜知と権力の解析者

知と権力の交錯 〜「正常」を作る力から、自己を作る倫理へ

私たちは、どのように「人間」にされるのか

病院、学校、監獄、軍隊、工場。これらは、それぞれ異なる目的をもつ施設です。病院は病気を治療し、学校は知識を教え、監獄は犯罪者を矯正します。しかし、ミッシェル・フーコーは、その背後に共通する仕組みを見いだしました。人間を観察し、記録し、分類し、評価し、一定の規範に適合させる仕組みです。 またフーコーは、権力を、人びとの行為の可能性を方向づけ、その過程で人間そのものを作り出す関係の網と捉え、警戒を呼びかけました。

フーコーが問うたのは、「誰が権力を握っているのか」という問題だけではありません。ある時代において何が真実として認められ、誰がそれを語る資格をもち、その知識によって自らの意思に反して人がどのように作られるのか、という問題でした。 また、権力は様々な形で、私たちの周りを取り囲んでいる事を、明らかにして行きました。

そして晩年には、さらに問いを進めます。 「人間は権力や知識によって一方的に作られるだけなのか。それとも、与えられた規範に囚われながらも、権力との関係を組み替えながら、自分自身を作ることができるのか。」 フーコーの思想は、「権力によって作られる主体」の分析から、「自らを作る主体」の探究へと展開していきました。

狂気は、いつ「精神疾患」になったのか

ミッシェル・フーコーは、1926年にフランスのポワチエで生まれました。哲学と心理学を学び、精神医学にも強い関心を寄せました。1961年に刊行された『狂気の歴史』は、彼の思想の出発点となる著作です。 フーコーが問題にしたのは、精神医学が狂気をどのように説明したかだけではありません。その前に、狂気がどのように社会から区別され、隔離され、医学の対象となったのかを問いました。

17世紀のヨーロッパでは、貧困者、浮浪者、失業者、放蕩者、精神的に混乱した人々などが、しばしば同じ施設に収容されました。そこで問題とされたのは、必ずしも医学的な病気ではありません。働かないこと、社会秩序を乱すこと、理性的に振る舞わないことが、道徳的・社会的な逸脱として扱われたのです。 まず社会はこの人たちを、矯正しようとします。施設の中の権力から見て、多くの人たちは矯正可能でした。しかし、一定数の人たちは、どうやっても矯正が出来ませんでした。

社会は、こうした人々を罰するのではなく、治療すべき患者として扱うようになりました。これは明らかに人道的な進歩です。そしてここに、近代精神医学が誕生します。しかしフーコーは、治療の中にも新しい権力関係が生まれたことを指摘します。 精神科医は患者を観察し、言動を解釈し、診断名を与えます。患者の言葉は、その人自身の語りであると同時に、専門家によって「症状」として読まれるようになります。狂気を経験している本人よりも、それを医学的に説明する専門家の言葉の方が、真実として強い権威をもつようになったのです。

したがって精神医学の誕生は、迷信から科学への単純な進歩ではありません。それは狂気を「精神疾患」として認識し、管理する新しい制度の成立でもありました。

[詳しくは、コラム(書評)精神医学史としての〜M・フーコー:狂気の歴史〜を、参照下さい。]

医学は何を「見る」ようになったのか

『臨床医学の誕生』では、近代医学が成立する過程が分析されています。

病理解剖学が発達すると、病気は患者の体質や生活全体だけでなく、身体内部の臓器や組織に位置づけられるようになりました。医師は患者の訴えを聞き、身体を診察し、死後には解剖し、症状と病変を対応させるようになります。 この変化によって、医学は飛躍的に発展しました。一方で患者は、苦痛を語る主体であると同時に、観察される身体、病変を宿す身体となりました。フーコーは、このように人体を可視化し、病気を特定の場所に見いだそうとする視線を「医学的まなざし」として分析しました。

彼は医学の客観性を否定したのではありません。客観的な医学知識も、病院制度、解剖学、診察方法、記録技術、医師の教育が組み合わされることで、初めて成立したと考えたのです。 何かが科学的事実として見えるためには、それを見るための制度と方法が必要です。知識は、社会から独立した場所で生まれるものではありません。

知の考古学 〜真理を可能にする時代の枠組み

『言葉と物』で、フーコーは個別の医学史を超え、西洋の知識を支えてきた基本的な秩序へと研究を広げました。

ある時代の人々が何を真実と考えるかは、個々の思想家の発見だけでは説明できません。その時代には、何を研究対象とし、どのような言葉で語り、何を証拠として認めるかを規定する、暗黙の枠組みがあります。フーコーはこれを「エピステーメー」と呼びました。 近代になると、生命、労働、言語などが独立した研究領域となり、人間は知識を作る主体であると同時に、医学、心理学、社会学、人類学によって研究される対象にもなりました。

私たちが当然のものと考えている「人間」という概念も、普遍不変ではありません。”人間という概念“、それは特定の時代の知の配置の中で成立した、歴史的な存在なのです。

監獄から学校、病院へ広がる規律権力

1975年の『監獄の誕生』で、フーコーは知識の分析から、知識と権力の結びつきへ踏み込みます。

前近代の刑罰では、罪人の身体に苦痛を与える公開処刑によって、君主の力が示されました。ところが近代になると身体刑は後退し、監獄による矯正が中心になります。 ここで権力の働き方が変化します。近代の権力は、身体を破壊するのではなく訓練します。起床、食事、労働、運動、睡眠を時間割に組み込み、行動を持続的に観察します。その目的は、従順であると同時に有用な身体を作ることです。

この「規律権力」は、監獄だけでなく、学校、軍隊、工場、病院にも広がっています。 生徒は座席に配置され、出席を取られ、試験によって順位づけられます。 患者は病床に配置され、症状や経過を記録されます。 個人は観察、比較、評価の対象となり、一人ひとりの記録をもつ「症例」になります。

その象徴が、中央の監視塔から周囲の独房を見渡す「パノプティコン」です。収容者には、実際に監視されているかどうかが分かりません。そのため、やがて監視者がいなくても、自分で自分を監視するようになります。 権力は、命令や暴力として外から加えられるだけではありません。規範を内面化した人間が、自発的に自分を管理することによっても働くのです。

知識は権力を支え、権力は知識を作る

学校の試験は、知識の到達度を測るだけでなく、生徒を「優秀」「標準」「遅れている」と分類します。医学的診察も病気を発見するだけでなく、正常と異常の境界を定めます。 観察と評価によって知識が蓄積され、その知識を用いて人間が管理されます。そして管理する過程で、さらに記録と知識が生み出されます。フーコーは、この相互関係を「権力/知」として捉えました。

ただし、これは「科学はすべて権力者の嘘である」という意味ではありません。フーコーが問うたのは、ある知識が真実として働くとき、それを支えている制度、専門家、記録方法、評価基準は何かということです。 さらに、その知識によって誰が発言権を得て、誰の言葉が聞かれにくくなるのかを問いました。

「作られる主体」から「自らを作る主体」へ

ここまでのフーコーの思想では、人間は知識と権力によって形成される存在として描かれていました。しかし、それだけでは、人間が規範に抵抗し、自分の生き方を変える可能性を十分に説明できません。 そこで晩年のフーコーは、古代ギリシア・ローマの倫理思想を研究し、「人間は自分自身にどのように働きかけ、自らを一定の主体へと形成するのか」という問題へ向かいました。

1984年に刊行された『性の歴史Ⅱ 快楽の活用』『性の歴史Ⅲ 自己への配慮』で中心となるのは、道徳規則そのものではなく、人間がその規則とどのような関係を結ぶかという問題です。

例えば、二人の人が同じように性的な節制を行っていたとします。 一人は、禁令に反すれば罪になるから欲望を抑えている。 もう一人は、欲望に支配されず、自分を統御できる人間になるために節制している。 外から見た行動は同じです。しかし、前者では命令への服従が中心であり、後者では自分をどのような人間へ形成するかが中心です。

フーコーは、倫理とは「何をしてよいか」を定める規則だけではなく、その規則との関係を通して、自分をどのような存在へ変えていくかという実践でもあると考えました。

『快楽の活用』 〜欲望の禁止ではなく自己統御

『快楽の活用』が主に扱うのは、古典期ギリシアの倫理です。

古代ギリシアでは、性的快楽そのものが悪とされたわけではありません。快楽は食欲や飲酒欲と同じように自然なものですが、過度に支配されれば、人間は自分自身の主人ではなくなります。 そこで問題となったのは、快楽を全面的に禁止することではなく、適切に「活用」することでした。いつ、どこで、誰と、どの程度の快楽を享受するかを判断し、欲望との関係を整えることが求められたのです。

ここでいう自由は、「好きなことを何でもする自由」ではありません。欲望の奴隷にならず、自分自身を治めることのできる状態です。 フーコーは、身体と健康を管理する養生術、妻や家庭との関係を整える家政術、恋愛をめぐる実践などを通して、古代人が自らを節度ある主体へ形成していた過程を検討しました。

ただし、古代ギリシアを理想社会として評価したわけではありません。この倫理が主として成人男性の自由市民を対象とし、女性、奴隷、外国人などを対等な主体として扱っていなかったことは看過できません。 フーコーが古代倫理に注目したのは、それを現代に復活させるためではなく、倫理が必ずしも普遍的な禁止命令の形を取るとは限らないことを示すためでした。

『自己への配慮』 〜日常生活を倫理的訓練にする

『自己への配慮』では、主にヘレニズム・ローマ期の倫理が扱われます。この時代になると、古典期ギリシアの自己統御は、より広い「自己への配慮」へ発展します。 自己への配慮とは、自分を甘やかすことでも、自分の感情だけを優先することでもありません。自分の身体、欲望、思考、習慣を持続的に観察し、より望ましい存在へ変えていく実践です。

具体的には、一日の終わりに自分の言動を振り返る、日記や覚書を書く、師や友人と手紙を交わす、哲学者の言葉を記憶する、将来起こりうる不幸をあらかじめ想定する、自分の心に浮かぶ表象を吟味するといった訓練が行われました。 食事、睡眠、運動、性交なども、単なる禁止事項ではなく、生活全体の均衡の中で調整されます。 こうした実践の目的は、心の奥に隠された「本当の自分」を発見することではありません。自分の生活に一定の形式と統一性を与え、真理を知識として所有するだけでなく、生き方として身につけることでした。

古代において哲学は、学説を理解するための知的活動である以上に、生活の仕方そのものだったのです。

「自己を知れ」よりも「自己に配慮せよ」

西洋哲学では、「汝自身を知れ」という言葉が重視されてきました。しかしフーコーによれば、古代思想において自己認識は、より広い「自己への配慮」の一部でした。 フーコーが検討したギリシア・ローマの哲学的伝統では、自己を知ることは、心の奥に隠れた本質を発見することではなく、自分を変え、よりよく生きるための実践に組み込まれていました。

ところがキリスト教文化から近代にかけて、人間は自分の内面に潜む欲望を調べ、それを告白し、解釈するよう求められるようになります。 さらに近代の心理学、精神医学、精神分析は、「私の内面には、どのような真実が隠されているのか」という問いを発展させました。

これに対して古代倫理の中心的な問いは、 「私は、自分自身にどのような働きかけを行えば、よりよく生きられるのか」 というものでした。 真理とは、単に自分についての正しい知識ではありません。自分の存在様式を変えるために実践されるものでした。

自己は発見するものではなく、形成するもの

フーコーの自己論は、「社会的な抑圧の下に、本当の自分が隠されている」という思想とは異なります。私たちが自分を理解するときに用いる「正常」「異常」「健康」「病気」「性格」「アイデンティティ」といった言葉自体が、歴史と社会の中で作られてきたものだからです。 したがって、自己形成とは、本来の自分へ戻ることではありません。与えられた規範や分類を素材としながら、自分とそれらとの関係を組み替えることです。

主体には二つの側面があります。 一つは、医学、教育、司法などによって「患者」「生徒」「犯罪者」などとして作られる側面です。 もう一つは、その分類を受け入れたり、拒否したり、意味を変えたりしながら、自分自身を作る側面です。

人間は完全に自由な創造者ではありません。しかし、権力の受動的な産物であるだけでもありません。与えられた条件の中で、自分の存在様式を修正する余地が残されています。

人生を作品として作る「生存の美学」

フーコーは古代倫理の特徴を、「生存の美学」あるいは「実存の美学」と表現しました。

これは、人生を表面的に美しく装飾するという意味ではありません。自分の生活に節度と統一性を与え、自分が肯定できる生き方を形作るという意味です。 重要なのは、細かな規則に従ったかどうかだけではありません。 「私はどのような人間として生きたいのか。そのために、自分の欲望や習慣とどのような関係を結ぶのか」 という問いです。

また、自己への配慮は、自己中心主義でもありません。古代の自己形成は、師、友人、家族、市民社会との関係の中で行われました。自分を適切に統御できることが、他者と適切に関係するための条件だと考えられたからです。

精神科臨床における「自己形成」

晩年のフーコーの思想は、精神科臨床にも重要な視点を与えます。

精神医学的診断は、患者の苦痛を理解し、治療や支援につなげるために必要です。一方で診断名は、「自分はどのような人間なのか」という患者の自己理解にも影響します。 診断によって自分の経験を整理できる人もいれば、「自分の感情はすべて症状である」「病気だから何もできない」と考えるようになる人もいます。

前期のフーコーは、診断や治療が人間を「症例」として形成する側面を明らかにしました。 晩年のフーコーは、そこにもう一つの可能性を加えます。患者は診断を一方的に与えられるだけでなく、その知識を利用し、自分の生活や他者との関係を再構成できるという可能性です。 気分記録や生活リズムの調整も、ただ規範に適合するために強制されれば、自己監視になります。しかし、本人の価値観に沿って、より望ましい生活を作るために用いられるなら、「自己の技法」となります。

臨床家の役割も、患者を一律の正常状態へ戻すことだけではありません。患者が診断や規範とどのような関係を結び、どのような生活を作りたいのかを共に考えることにあります。

権力の分析から、自由の実践へ

フーコーの後期思想は、それ以前の権力論を捨てたものではありません。彼の研究は、三つの軸へ発展したと考えるべきでしょう。

  • 人間が、どのように知識の対象となるのか。
  • 人間が、どのように権力によって統治されるのか。
  • 人間が、どのように自分自身を形成するのか。

フーコーにとって自由とは、あらゆる権力や規範から完全に脱出することではありません。自分を作っている知識や規範を認識し、それに無自覚に従うのではなく、自分との関係を組み替えていく実践です。 知と権力は、私たちを外側から支配するだけではありません。私たちが自分について考え、自分を評価する仕方の中にも入り込んでいます。 だからこそ、自由は単に権力から逃れることではなく、自分がどのように作られてきたのかを知り、そのうえで、自分を別の仕方で作り直すことから始まります。

フーコーが最終的にたどり着いたのは、主体とは発見される本質ではなく、知・権力・自己実践の交点で、形成され続ける存在だという思想だったのです。

参考書籍

  1. 慎改康之『ミシェル・フーコー 自己から脱け出すための哲学』岩波新書
  2. 『精神医学の権力  コレージュ・ド・フランス講義 1973–1974年度』慎改康之訳
  3. ミシェル・フーコー『狂気の歴史 古典主義時代における』田村俶訳、新潮社
  4. ミシェル・フーコー『臨床医学の誕生』神谷美恵子訳、みすず書房
  5. ミシェル・フーコー『監獄の誕生 監視と処罰』田村俶訳、新潮社
  6. ミシェル・フーコー『主体の解釈学 コレージュ・ド・フランス講義 1981–1982年度』廣瀬浩司・原和之訳、筑摩書房