次世代に伝えたい偉人伝②:『フェルナン・ブローデル』 〜歴史の中に、“構造”を見た歴史家

次世代に伝えたい偉人伝②:『フェルナン・ブローデル』 〜歴史の中に、“構造”を見た歴史家

歴史の主役は誰なのか

歴史と聞いて、私たちが最初に思い浮かべるのは、戦争、革命、王朝の交代、国家の興亡、政治家の決断といった大きな事件である。誰が権力を握り、どの国が勝利し、どの条約によって時代が変わったのか。従来の歴史学は、こうした出来事を年代順に並べることによって過去を描いてきた。 その歴史の中心に置かれるのは、王、皇帝、将軍、政治家など、名前を持つ個人である。歴史とは、強い意志を持った人物が決断し、その結果として社会が変化していく過程だと考えられてきたのである。

しかし、20世紀フランスを代表する歴史家フェルナン・ブローデルは、そのような見方を根本から転換した。 王が代わっても、農民は同じ土地を耕し、商人は同じ街道を通り、船乗りは季節風を待って同じ海を渡る。革命によって政権が変わっても、人々の食生活、家族制度、宗教的心性、都市と農村の関係が、翌日からすべて変わるわけではない。 華々しい事件の背後には、人間の意志だけでは容易に動かせない条件が横たわっている。地形、気候、人口、交易路、農業技術、食習慣、家族制度、経済的格差、宗教、集団的なものの考え方。これらは、個々の事件よりもはるかに長く持続し、意識されないまま人々の選択を方向づけている。

ブローデルが見ようとしたのは、舞台の上で演じられる事件ではなく、その舞台を成り立たせている構造であった。

アナール学派がもたらした歴史学の転換

フェルナン・ブローデルは1902年、フランス北東部ロレーヌ地方の農村に生まれた。パリ大学で歴史学を学んだ後、アルジェリアで教鞭を執り、地中海世界に関心を持つようになる。その後はブラジルのサンパウロ大学でも教え、帰国後、歴史家リュシアン・フェーヴルと親交を深めた。 フェーヴルとマルク・ブロックは、1929年に歴史学雑誌『アナール』を創刊していた。彼らを中心に形成された潮流は、後にアナール学派と呼ばれる。

アナール学派は、政治史や外交史に偏っていた従来の歴史学に疑問を投げかけた。王の決断や戦争の勝敗だけではなく、経済、社会、地理、人口、宗教、病気、死、時間感覚など、普通の人々の日常生活も歴史の対象にしようとしたのである。

その背後には、歴史学を他の人文・社会科学に開こうとする姿勢があった。経済学、社会学、人類学、地理学、人口学、心理学などの知見を取り入れ、人間社会を総体として理解する。ブローデルは、このアナール学派の第二世代を代表する歴史家となった。 彼にとって歴史とは、過去の事件を記録する学問ではなかった。現在の社会を形づくっている、長い時間の堆積を解明する学問だったのである。

捕虜収容所で構想された「長い歴史」

第二次世界大戦が始まると、ブローデルはフランス軍に召集された。しかし1940年、ドイツ軍の捕虜となり、終戦までドイツ国内の収容所で生活することになる。

その間にも、彼は後の主著となる『フェリペ二世時代の地中海と地中海世界』の執筆を進めた。手元の資料が限られた状況で、過去に調査した膨大な史料と構想を記憶から再構成したとされている。 捕虜収容には、戦争のニュースが次々と届いた。戦線は動き、都市は占領され、国家の運命が日々変化していく。そうした激しい事件の時間から精神的な距離を取るために、ブローデルは、戦争よりもはるかに長く存続する歴史へと思考を向けた。

政権や国境は変わる。しかし、地中海を囲む山脈、平野、砂漠、海流、季節風、港湾、農業地帯は、それよりも長く存在している。戦争が起きても、人間は食べなければならず、穀物を運び、燃料を確保し、海を渡るために風を待たなければならない。 目の前で起きている事件を絶対視せず、それをより長い時間の中に置き直す。ブローデルの歴史観には、捕虜として経験した「事件の圧力」に対する、知的な抵抗という側面もあった。

歴史には三つの時間が流れている

ブローデルの最大の功績は、歴史の時間は一つではないと考えたことである。

私たちは通常、時間を過去から現在へ均一に流れるものとして捉えている。しかし歴史の中には、異なる速度で進む複数の時間が重なっている。ブローデルは、それらを大きく三つの層に分けた。

第一は、事件の時間である。 戦争、革命、政変、暗殺、条約、選挙、指導者の決断などがこれにあたる。事件は数日、数か月、数年の単位で生じる。変化が速く、劇的であり、記録に残りやすい。新聞や年代記が主として扱うのも、この短い時間である。 ブローデルは、事件を海面に立つ波にたとえた。波は目につきやすく、時には巨大な力を持つ。しかし、波だけを見ても海全体の動きは分からない。事件は重要ではあるが、それだけで歴史を説明することはできない。

第二は、中期的な変動の時間である。 景気循環、物価変動、人口の増減、国家の盛衰、交易圏の移動、技術の普及など、数十年から数世紀に及ぶ動きである。ブローデルは、こうした一定期間持続する社会・経済的な局面を「コンジョンクチュール」と呼んだ。 たとえば、ある港湾都市が繁栄するのは、一人の優れた指導者が現れたからだけではない。交易路の変化、船舶技術、金融制度、人口、商品需要、他地域との力関係などが重なり、数十年から数世紀にわたる繁栄の局面をつくり出す。やがて、その条件が変われば中心地も移動する。

第三は、「長期持続」の時間である。 フランス語でlongue duréeと呼ばれるこの時間こそ、ブローデルの歴史学を象徴する概念である。 長期持続とは、数世紀、ときには千年以上にわたって持続する、きわめて変化の遅い歴史である。地形や気候、海と山の配置、農業の条件、交通路、食文化、家族構造、宗教的心性、労働観、都市と農村の関係などが含まれる。 もちろん、それらも永久に不変なのではない。しかし変化が遅いため、ある時代を生きる個人にとっては、ほとんど動かすことのできない前提として現れる。

歴史を理解するためには、この三つの時間を重ねて見なければならない。事件だけを見れば、歴史は英雄や権力者の決断によって動いているように見える。しかし視野を広げると、その決断自体が、経済、人口、技術、地理、文化などの条件によって制約されていることが分かる。

[具体例として、コラム(書評:補填)ブローデルの視点でみた、『織田信長:天下統一』を、参照下さい。]

ブローデルのいう「構造」とは何か

ブローデルにとって構造とは、社会を一度に決定する単純な法則ではない。それは、長い時間にわたって存続する関係や配置であり、人間の行動を支えると同時に制約する枠組みである。

山脈は交通を妨げるが、同時に独自の共同体を守る。海は人々を隔てるが、同時に遠隔地を結びつける。宗教的伝統は個人の選択を制約する一方で、苦難を意味づける言葉を与える。市場制度は自由な交換を可能にするが、富の偏在を固定することもある。 このように構造には、可能性と制約の両面がある。

ブローデルは、人間が構造によって機械的に操られていると考えたわけではない。人間には選択の余地があり、事件は現実に影響を与える。しかし、その選択は無限ではない。人間は、自分が生まれる以前から存在している言語、制度、慣習、土地、技術、経済関係の中で決断する。 構造とは、人間の自由を否定するものではない。自由が行使される範囲と条件を示すものである。

主人公としての「地中海」

1949年に刊行された『フェリペ二世時代の地中海と地中海世界』(邦題:地中海)は、ブローデルの方法を具体化した記念碑的著作である。 表題には16世紀スペイン王フェリペ二世の名が掲げられている。しかし、この本の本当の主人公はフェリペ二世ではない。地中海そのものである。

本書は、ブローデルの歴史観に対応する三部構成を取っている。 第一部「環境の役割」では、地形、気候、海流、交通路など、きわめてゆっくりと変化する地理的時間が描かれる。 第二部「集団の運命と全体の動き」では、人口、経済、交易、都市、国家、文明といった数十年から数世紀に及ぶ社会的変動が論じられる。 第三部「出来事、政治、人間」に至って初めて、フェリペ二世の政策、スペインとオスマン帝国の対立、戦争や外交交渉が登場する。 この配列自体が、事件を歴史の表層に位置づけるブローデルの考えを表している。

従来の歴史書であれば、スペインとオスマン帝国の対立、外交交渉、戦争、レパントの海戦などが中心になっただろう。ところがブローデルは、政治的事件に入る前に、まず地中海を取り囲む山岳、平野、半島、島、砂漠、海流、季節風、港、街道、農業地帯を描く。

本書が「まず初めに山地」という印象的な叙述から始まることは、ブローデルの歴史観を象徴している。 地中海とは、単なる海ではない。海を囲む陸地、そこへ流れ込む河川、背後の山岳地帯、南方のサハラ砂漠、さらに大西洋やインド洋へつながる交易路までを含む、巨大な生活空間なのである。 山岳地帯では交通が困難であるため、地域ごとの共同体や古い慣習が長く維持される。一方、人々は完全に孤立していたわけではなく、季節に応じて家畜を山地と平野の間で移動させる「移牧」によって、異なる地域を結びつけていた。平野では穀物生産が拡大し、都市や国家権力が発達しやすいが、湿地、洪水、マラリアなどによって開発を妨げられることもあった。島は孤立した空間である一方、船舶が立ち寄る中継地となり、商業、軍事、海賊活動の拠点にもなった。 海もまた、均質な空間ではない。地中海はアドリア海、エーゲ海、ティレニア海など、性格の異なる小さな海の集合体であり、それぞれが沿岸都市と後背地を結びつけていた。海は人々を隔てる障壁であると同時に、穀物、塩、羊毛、香辛料、銀などの商品、さらには技術、信仰、文化、感染症を運ぶ道でもあった。

第二部では、この地理的環境の上で営まれる人間社会が描かれる。 16世紀の地中海世界では人口が増加し、食料需要が高まり、穀物価格が上昇した。都市は周辺地域だけでは食料をまかなえず、シチリア、南イタリア、北アフリカ、東地中海などから大量の穀物を輸送する必要があった。また、新大陸からスペインへ流入した銀はセビリアにとどまらず、ジェノヴァの金融業者やヨーロッパ各地の商業網を通して地中海世界へ流れ込んだ。このように、政治的には対立している国家も、経済的には広大な交易と信用の網によって結びついていた。 ブローデルは、海賊、密貿易、盗賊、捕虜、奴隷など、国家の公式記録では周辺に置かれやすい存在にも目を向けた。キリスト教世界とイスラーム世界は明確に分断されていたわけではない。戦争の一方で交易は続き、商人、改宗者、捕虜、亡命者が境界を越えて移動していた。地中海は文明が衝突する場所であると同時に、互いの技術や生活様式を借用する場所でもあった。 さらに地中海の航海は、風向き、海流、季節、船舶の性能に左右された。国王が命令を下しても、風が吹かなければ艦隊は動かない。命令がマドリードからイタリアや北アフリカへ届くまでには長い時間がかかり、現地の状況はその間に変化してしまう。フェリペ二世の慎重で遅い意思決定も、個人的性格だけでなく、巨大な帝国を統治する際の距離と情報伝達の限界の中で理解されなければならない。

第三部で扱われる1571年のレパント海戦は、キリスト教連合艦隊がオスマン帝国艦隊を破った劇的な事件である。 しかしブローデルは、この勝利だけによって地中海世界が一変したとは考えない。オスマン帝国は艦隊を再建し、スペインもまた大西洋、ネーデルラント、ポルトガルへ関心を移していった。 レパント海戦はキリスト教連合艦隊の劇的な勝利であった。しかし、この一度の勝敗が地中海世界を決定的に変えたわけではない。その歴史的な意味は、スペインとオスマン帝国がともに財政的負担を抱え、それぞれ別の戦線へ関心を移し、さらにヨーロッパ経済の中心が地中海から大西洋方面へ移りつつあったという、長期的な変化の中で理解する必要がある。

このように本書では、王の命令や戦争の勝敗よりも先に、食料、価格、距離、風、航路、人口、金融、情報伝達といった条件が検討される。政治家や軍人は歴史を自由に創造する主人公ではなく、自分たちよりも古く、はるかに大きな構造の中で行動する存在として描かれている。

ブローデルは政治史を否定したのではない。政治的事件を、それだけで完結した原因として扱うことを拒んだのである。事件を、より深い地理的・社会的・経済的な時間の中に置き直すことによって、なぜその事件がその場所と時代に起こり、どこまで社会を変えることができたのかを明らかにしようとしたのである。

[詳細は、コラム(書評)フェルナン・ブローデル『地中海』:歴史の三層構造から見る「全体史」を、参照下さい。]

日常生活から捉え直された資本主義

ブローデルのもう一つの大著が、全三巻からなる『物質文明・経済・資本主義 15〜18世紀』である。

ここで彼は、近代資本主義の成立を、思想家や制度の歴史だけから説明しなかった。人々が何を食べ、何を着て、どのような家に住み、何を燃料とし、どのような道具を使ったのか。そうした日常生活の最も基礎的な部分から経済の歴史を積み上げていった。

ブローデルは、経済社会を大きく三つの層として捉えた。 最下層にあるのが「物質生活」である。 食料の生産と消費、衣服、住居、人口、疫病、農業、燃料など、人間が生きるために毎日繰り返す営みがここに含まれる。その多くは市場を介さず、自給自足や地域内部の交換によって支えられていた。

その上にあるのが市場経済である。 町の市場、小売商、定期市などで行われる、比較的見通しのよい日常的な交換である。売り手と買い手が出会い、価格が形成され、商品が流通する。

さらにその上に、ブローデルのいう資本主義が位置する。 彼にとって資本主義は、自由競争的な市場経済と同じものではなかった。むしろ巨大な資本を持つ商人や金融業者が、情報、信用、遠隔地交易、国家権力、独占権などを利用し、通常の市場競争を超えて利益を確保する領域であった。 つまり資本主義は、市場が最も自由になった状態というより、市場の上層で有力者が競争を回避し、自らに有利な条件をつくる仕組みとして理解されたのである。

この視点は、資本主義を市場交換の自然な発展とみなす考え方に修正を迫る。市場は古くから存在した。しかし、市場が存在することと、資本主義が社会全体を支配することは同じではない。資本主義の成立には、資本の集中、金融技術、遠距離交易、政治権力との結合など、複数の長期的条件が必要だった。

「世界=経済」という考え方

ブローデルはさらに、「世界=経済」という概念を提示した。 これは、地球全体を一つにまとめた「世界経済」とは意味が異なる。世界=経済とは、一定の自律性を持ち、内部で多くの経済活動が完結する広大な地域圏を指している。

一つの世界=経済には、中心となる都市がある。その周囲に中間地帯が広がり、さらに外側に、原料や労働力を供給する周辺地帯が形成される。富、情報、金融、政治的影響力は中心へと集中する。 近代ヨーロッパでは、ヴェネツィア、アントウェルペ、ジェノヴァ、アムステルダム、ロンドンへと、経済的中心が移動していった。中心都市が変わっても、中心と周辺から成る階層的な空間構造は持続する。

この考え方は、後のイマニュエル・ウォーラーステインによる世界システム論や、現在のグローバル・ヒストリーにも大きな影響を与えた。国家を単独の単位として見るのではなく、商品、資本、労働力、情報が国境を越えて移動する広域的な関係から歴史を捉える視点である。

マルクス主義や構造主義との違い

ブローデルの歴史学は、物質的条件や経済構造を重視する点で、マルクス主義と共通している。

しかし彼は、歴史を単一の原理によって説明しようとはしなかった。階級闘争や生産様式だけを歴史の決定的な原因とせず、地理、人口、技術、交易、国家、文化、宗教、集合的心性など、複数の構造が異なる速度で変化すると考えた。

また、同時代の構造主義とも一定の共通性がある。個人の意識より、その背後にある関係の体系を重視する点では、クロード・レヴィ=ストロースらの構造主義に近い。 ただしブローデルの構造は、時間の外にある静止した体系ではない。それ自体が歴史的に形成され、ゆっくりと変化していく。彼が研究したのは、不変の構造ではなく、異なる速度で動く構造であった。

ブローデルは、歴史を法則によって単純化するのでも、出来事の連続として細分化するのでもなく、複数の時間と複数の因果関係が重なった全体として理解しようとしたのである。

ブローデル史学の限界

もっとも、ブローデルの方法には批判もある。

地理、経済、人口などの構造を重視しすぎれば、個人の決断、偶然、思想、感情、革命的な変化の力を過小評価することになる。 人間が、巨大な構造によって動かされるだけの存在に見えてしまう危険がある。 また、広大な空間と長い時間を一望する歴史では、個々人の声が聞こえにくい。女性、農民、奴隷、植民地支配を受けた人々、宗教的・民族的少数者の経験が、大きな構造の中に埋没する可能性もある。 後に登場したミクロストリア、文化史、ジェンダー史、ポストコロニアル研究などは、こうした限界を補うように、小さな共同体や一人の人間の経験、語られなかった記憶へと接近した。

さらに、地理的条件を強調しすぎれば、歴史を自然環境によって説明する地理的決定論に近づく危険もある。 山があるから社会は必ずこうなる、海に面しているから必ず商業が発達するといった単純な説明は、ブローデル自身の意図したものではない。 構造は運命ではない。それは人間の行動を制約するが、結果を一義的に決定するわけではない。人間は構造の中で行動し、その行動の蓄積によって、長い時間をかけて構造そのものを変えていく。

現代を理解するためのブローデル

ブローデルの歴史学は、現代社会を理解するうえでも有効である。

私たちは毎日、戦争、選挙、金融危機、感染症、技術革新、企業の盛衰などのニュースに接している。こうした出来事は重要であり、ときに多くの人の運命を変える。しかし、事件だけを追っていると、その背後で長く進行してきた変化を見失う。

金融危機の背後には、長年にわたる信用制度と富の集中がある。 感染症の拡大には、都市化、人口移動、物流網、医療制度、居住環境が関係する。 地域紛争の背後には、資源分布、国境形成、民族関係、宗教的記憶、交易路の歴史がある。 新しい情報技術の普及も、それだけで社会を変えるのではなく、既存の経済構造、教育制度、労働観、権力関係の中に組み込まれる。

現代の出来事を理解するには、「何が起きたのか」だけではなく、「なぜ、それが起こり得る社会が長い時間をかけて形成されたのか」と問わなければならない。 そこに、ブローデルが残した視点の重要性がある。

出来事の奥に流れるものを見る

ブローデルは、事件を否定した歴史家ではない。事件を、それだけで完結したものとして理解することを拒んだ歴史家である。 歴史の表面には、王の決断、戦争、革命、発明、思想の転換といった波が立つ。しかし、その深部には、地理、人口、経済、技術、制度、文化、日常生活がつくる巨大な海流が流れている。 波は速く、海流は遅い。だが長い時間の中で、人間と社会の進路を方向づけるのは、しばしば深い場所を流れる海流である。

ブローデルが歴史学にもたらしたのは、時間の尺度を変える視点だった。今日のニュースから数十年の変動へ、さらに数世紀にわたる構造へと視点を引いていくことで、目の前の出来事はまったく異なる姿を見せ始める。 人間は歴史をつくる。しかし人間は、自分が選んだわけではない地理、言語、制度、習慣、経済関係の中に生まれ、それらによっても形づくられている。それでも人間は、その条件の中で選択し、少しずつ構造を変えていく。

出来事の背後に構造を見つめ、短い時間の奥に長い時間を聴き取ること。 フェルナン・ブローデルが私たちに残したのは、過去を研究する一つの方法であると同時に、変化の激しい現在にのみ込まれず、世界を深く理解するための思考法だったのである。

主参考文献

  • フェルナン・ブローデル『地中海』浜名優美訳、藤原書店
  • フェルナン・ブローデル『物質文明・経済・資本主義〜15〜18世紀』みすず書房
  • フェルナン・ブローデル『歴史入門』金塚貞文訳、中央公論新社、2009年
  • ピーター・バーク『フランス歴史学革命〜アナール学派1929–89年』
  • ピエール・デックス『ブローデル伝』浜名優美訳、藤原書店、2003年