日本の「甘えと恥の文化」が、ASDの人を追い詰める理由
日本の「甘えと恥の文化」が、 ASDの人を追い詰める理由
「空気を読む」ことが呼吸のように求められる日本社会。その中で、自閉スペクトラム症(ASD)の方々が抱える生きづらさは、単なる「コミュニケーションの苦手さ」だけでは片付けられない根深さがあります。
今回は、日本の文化特有の心理である「甘え」と「恥」という視点から、日本で生きるASDの方々の心の葛藤を解き明かしたコラムをお届けします。
「察し」というネットワークの壁
日本社会の人間関係は、お互いの境界線が少しあいまいで、言葉にしなくても「察し合う」ことで成り立っています。精神科医の土居健郎氏が提唱した「甘え」という言葉は、相手が自分を受け入れてくれると信じ、寄りかかる心地よさを指します。
しかし、ASDの方々は本来、物事を論理的・ルール的にきっちり分けることを好む傾向があります。
- 「察してほしい」側(定型発達):境界線をあいまいにし、つながりを確認したい。
- 「ハッキリしたい」側(ASD):明確なルールで自分と相手を区別したい。
このズレにより、ASDの方々は「暗黙の了解」というネットワークから取り残され、日本特有の「みんな一緒」という安心感(甘え)を、なかなか味わうことができないのです。
「恥」という名の見えない鎖
ルース・ベネディクトが日本を「恥の文化」と呼んだように、私たちは「周りからどう見られているか」を強く意識します。ASDの方々にとって、この「他人の視線」は恐怖の対象になりがちです。
過去に「変わっているね」「空気が読めない」と否定された経験が積み重なると、強烈な「恥」の意識が芽生えます。その結果、彼らは自分を殺してでも「普通の人」を演じようとする「社会的カムフラージュ(擬態)」に必死になります。
「変だと思われないように、完璧に演じなければならない」
この過剰な適応が、心身をボロボロにすり減らす原因となっているのです。私たちは、この「型」に合わせる苦しさを理解し、より多様な在り方を認める社会への一歩を踏み出す必要があります。
