双極症の、発病モデル
(最新の仮説)

双極症の、発病モデル(最新の仮説)

双極症はなぜ「気分の両極」を生むのか 〜現在考えられている発病機序

はじめに 〜単なる「気分の波」ではない

双極症は、躁状態または軽躁状態うつ状態を繰り返す精神疾患である。 躁状態では、気分が高揚したり著しく怒りっぽくなったりするだけでなく、活動性が増し、考えが次々に浮かび、ほとんど眠らなくても疲れを感じなくなる。判断が大胆になり、浪費や無謀な計画に走ることもある。 これに対して、うつ状態では、気分が沈み、喜びや意欲が失われ、思考も身体も動きにくくなる。

このような対照的な状態が同じ人に現れるため、かつては「躁ではドパミンが多く、うつではセロトニンが少ない」といった単純な説明が試みられた。しかし現在では、双極症を一種類の神経伝達物質の増減だけで説明することはできないと考えられている。神経伝達物質の変化は確かに症状の形成に関与するが、それは病気の出発点というより、より深い異常から生じる最終的な表現である可能性が高い。

現在もっとも有力なのは、双極症を「脳の状態を一定範囲に保つ仕組みが不安定になる病気」と捉える考え方である。遺伝的・神経発達的な素因を背景として、神経細胞の興奮性、体内時計、エネルギー代謝、ストレス応答などが互いに影響し合い、睡眠不足や心理社会的ストレスをきっかけに、脳全体が躁またはうつという状態へ移行するのである。

二つの問い 〜なぜ発病し、なぜエピソードが始まるのか

双極症の発病機序を考える際には、二つの問いを区別する必要がある。 第一は、「なぜその人が双極症になりやすい素因をもつのか」という問いである。これは遺伝、胎児期から青年期までの脳発達、幼少期の環境などに関係する。 第二は、「なぜある時点で躁やうつのエピソードが始まるのか」という問いである。こちらには、睡眠喪失、生活リズムの変化、心理的ストレス、出産、季節変化、薬物などが関係する。

素因をもっているだけで、必ず発病するわけではない。また、ストレスを受けた人が誰でも双極症になるわけでもない。生まれもった脆弱性と、その後の環境や身体状態が重なり、一定の閾値を越えたときに病的な状態変化が起こる。 この考え方は「脆弱性―ストレスモデル」と呼ばれるが、現在ではさらに、細胞、神経回路、睡眠、免疫、代謝を含む多層的なモデルへ発展している。

多数の遺伝子がつくる「発病しやすさ」

双極症は、精神疾患の中でも遺伝的影響の比較的大きい疾患であり、遺伝率は約60~80%と推定されている。ただし、この数字は「ある患者の発病原因の80%が遺伝である」という意味ではない。ある集団における発症しやすさの個人差のうち、遺伝的な違いで説明される割合を示す統計量である。家族に双極症の人がいても発病しない人は多く、家族歴が明らかでない患者も少なくない。

また、双極症を決定する単一の「双極症遺伝子」は存在しない。 2025年に発表された大規模ゲノム研究では、双極症約15万8千例と対照約280万人が解析され、発症リスクと関連する298のゲノム領域が同定された。個々の遺伝子の影響は小さいが、多数の変異が組み合わさることで、神経細胞の発達や働きにわずかな偏りが生じると考えられる。

この研究では、前頭前皮質や海馬の神経細胞に加えて、GABA作動性介在ニューロンと、線条体の中型有棘ニューロンが注目された。 GABA作動性介在ニューロンは、脳活動を単に抑えるだけでなく、多数の神経細胞が活動する順序とタイミングを整える。 中型有棘ニューロンは、ドパミンやグルタミン酸の情報を受け取り、報酬、意欲、行動選択を調節している。 したがって双極症では、「興奮する力」そのものよりも、興奮の強さとタイミングを適切に制御する仕組みに脆弱性がある可能性がある。

カルシウムと神経細胞の過剰興奮

近年、双極症の中核に近いと考えられているのが、神経細胞内のカルシウム調節である。 カルシウムイオンは、神経伝達物質の放出、遺伝子発現、シナプス可塑性、ミトコンドリアによるエネルギー産生などを結びつける重要な情報伝達物質である。細胞内カルシウム濃度が適切に調整されなければ、神経細胞は刺激に過敏になったり、活動後に元の状態へ戻りにくくなったりする

双極症との関連が繰り返し報告されてきたCACNA1Cは、電位依存性カルシウムチャネルの一部を作る遺伝子である。 またANK3は、神経細胞の軸索やイオンチャネルを正しい位置に保ち、電気的活動を安定させる働きをもつ。 2026年には、双極症の遺伝情報からうつ病と共有する成分を統計的に差し引き、躁に比較的特異的な成分を抽出した研究が発表された。その結果でも、電位依存性カルシウムチャネルに関係する遺伝子群が強く示された。躁の生物学を考えるうえで、カルシウムを介した神経興奮性は重要な手がかりとなっている。

患者の皮膚などから作製したiPS細胞を神経細胞へ分化させる研究では、双極症患者由来の海馬歯状回様ニューロンが、対照群より多くの活動電位を発生させることが示された。興味深いことに、リチウムは、実際の臨床でリチウムがよく効いた患者の神経細胞では過剰興奮を正常化したが、リチウムが効かなかった患者の細胞では正常化しなかった。これは双極症が生物学的にも均質な病気ではなく、異なる機序をもつ複数の病態を含んでいることを示唆する。

体内時計と睡眠 〜原因であると同時に結果でもある

双極症では、睡眠と概日リズムの異常がきわめて重要である。 概日リズムとは、睡眠と覚醒、体温、ホルモン分泌、代謝などを約24時間周期で調整する仕組みである。この体内時計は脳の視交叉上核を中心に働くが、実際にはほぼすべての細胞が独自の時計をもっており、光、食事、運動、社会生活などによって互いに同期している。

双極症患者由来の神経細胞を調べた研究では、時計遺伝子PER2のリズムが細胞間でそろいにくく、特にリチウムが効きにくい患者では、リズムの振幅が小さく、短期間で弱まることが報告されている。これは体内時計が単に「ずれている」のではなく、外界の時刻に合わせて多数の細胞を統合する力が弱くなっている可能性を示す。

睡眠不足は躁状態の症状であると同時に、躁状態を引き起こす契機にもなりうる。 睡眠時間が短くなると、概日リズムが乱れ、報酬系やドパミン系の活動が高まり、行動と目標追求が増える。活動が増えることでさらに眠らなくなり、その結果、脳の興奮が一段と高まる。この正のフィードバックが一定の閾値を越えると、単なる寝不足ではなく、自己維持的な躁状態へ移行すると考えられる。生活リズムを整えることが再発予防に重要なのは、このためである。

ミトコンドリア、炎症、ストレス応答

脳は体重の約2%にすぎないが、安静時にも全身のエネルギーの約20%を消費する。神経細胞が安定して情報を処理するためには、ミトコンドリアが十分なATPを供給し、カルシウムと活性酸素を適切に処理しなければならない。双極症では、一部の患者でミトコンドリアの電子伝達系、ATP産生、膜電位、分裂と融合などの異常が報告されている。

ミトコンドリアの機能が低下すると、単にエネルギーが不足するだけではない。 活性酸素やミトコンドリアDNAが細胞内外へ放出され、免疫系に危険信号を送る。これによってNLRP3インフラマソームなどの炎症機構が活性化し、炎症がさらにミトコンドリアを傷つけるという循環が生じうる。患者由来の脳オルガノイドでも、ミトコンドリア機能の低下と炎症反応の起こりやすさが報告されている。 ただし、炎症を双極症の第一原因とみなすのは早計である。炎症性物質の上昇は急性躁状態やうつ状態で認められることがある一方、寛解期には健常者との差が消失する研究もある。肥満、喫煙、睡眠不足、服薬などの影響も受ける。炎症はすべての患者に共通する原因というより、特定の患者や急性期にエピソードを増幅する因子と考える方が妥当である。

心理社会的ストレスも、視床下部―下垂体―副腎系(HPA系)、自律神経、免疫、睡眠を介して、この細胞レベルの脆弱性に働きかける。 幼少期のストレス体験や成人後の対人・経済的ストレスは、躁エピソードの初発や再発と関連するが、それだけで発病が決まるわけではない。遺伝的素因と環境の影響は、互いに独立して加算されるというより、ストレスへの反応の仕方を通じて相互作用すると考えられる。

気分を生み出す脳内ネットワーク

双極症には、特定の一か所に明らかな病変があるわけではない。重要なのは、前頭前皮質、前部帯状回、扁桃体、海馬、線条体、視床などを結ぶネットワークである。 前頭前皮質は衝動や感情を状況に応じて調節し、扁桃体は出来事の情動的な重要性を評価する。腹側線条体は報酬の予測や「何かをしたい」という動機づけに関係する。

躁状態では、報酬や成功の可能性が過大に評価され、前頭前皮質による行動の抑制が追いつかなくなると考えられる。ドパミンの作用は、この報酬と行動開始の過程を増幅する。抗精神病薬が急性躁状態に有効であることからも、ドパミンは躁の最終共通経路の一つとみられる。しかし、ドパミンの増加だけでは、なぜ特定の人に繰り返し躁状態が生じるのかを説明できない。

一方、うつ状態では、報酬への反応が低下し、行動を開始するためのエネルギーと動機づけが弱くなる。ストレス応答、神経可塑性、ミトコンドリア機能、概日リズムなどが、この状態を支えると考えられる。ただし、脳画像研究で認められる差は平均的には小さく、患者ごとの差も大きい。さらに異常がみられる部位は、安静時、認知課題、情動課題、躁・うつ・寛解のどの時期かによって変わる。現在のところ、MRIや血液検査だけで双極症を診断できる生物学的指標は存在しない

なぜ躁とうつが入れ替わるのか

双極症研究に残された最大の問題は、同じ脳がなぜ躁とうつという反対方向の状態へ移行するのか、という点である。 単純なシーソーのように、一つの物質が増えれば躁、減ればうつになるわけではない。実際、抑うつ気分と激しい焦燥、思考の加速、活動性の増大が同時に現れる混合状態が存在する。これは、気分の快・不快、覚醒度、活動性、思考速度、衝動性が、それぞれ部分的に独立した軸であることを示している。

この問題を説明する仮説の一つが、「アトラクター」と呼ばれる力学系の考え方である。 健康な脳では、喜びや悲しみ、活動と休息が変動しても、やがて通常の範囲へ戻る。ところが双極症では、脳内ネットワークの安定性が低いため、睡眠不足やストレスによって一定の境界を越えると、躁あるいはうつという別の安定状態へ引き込まれる。その状態に入ると、睡眠、行動、対人関係、ホルモン、神経伝達が互いを強化し、原因となった出来事がなくなってもエピソードが持続する。

もう一つは、脳の恒常性調節が行き過ぎる「オーバーシュート」の仮説である。 過剰な興奮を抑えようとした反応が強すぎてうつ状態へ傾いたり、長い抑制状態から回復しようとする反応が過剰になって躁状態へ移行したりするという考えである。ただし、これらは現象を理解するための有力なモデルではあっても、まだ直接証明された機序ではない。

おわりに 〜双極症を「恒常性の病」として見る

以上をまとめると、双極症は、多数の遺伝子がつくる神経発達的素因を背景として、カルシウム依存性の神経興奮、興奮と抑制の調整、概日リズム、ミトコンドリア、炎症、ストレス応答、前頭前野―辺縁系―線条体ネットワークが複雑に関係する疾患である。睡眠喪失や心理社会的ストレスは、この不安定なシステムを閾値の外へ押し出し、躁、うつ、混合状態への移行を引き起こす。

この見方では、双極症の本質は「気分が高いこと」や「気分が低いこと」そのものではない。 脳が活動、感情、睡眠、エネルギーを適切な範囲に保ち、変化した後に基準状態へ戻る力が弱くなっていることにある。リチウムが、単に一種類の神経伝達物質を増減させるのではなく、神経興奮性、細胞内情報伝達、概日リズム、ミトコンドリアなど複数の階層へ作用することも、この理解とよく一致する。

もっとも、双極Ⅰ型、双極Ⅱ型、精神病症状を伴う型、典型的なリチウム反応型などが、完全に同じ病態を共有しているとは考えにくい。 双極症という診断名は、一つの原因から生じる単一疾患ではなく、異なる生物学的経路が似た気分エピソードを形成する疾患群をまとめた名称である可能性が高い。 現在の研究は、すべての患者に共通する一つの原因を探す段階から、どの患者に、どの恒常性調節の異常が存在するのかを明らかにする段階へ移りつつある。

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