側頭頭頂接合部
(TPJ)から考える、自閉スペクトラム症
(ASD)の社会認知と医療現場での対応

※当院では、発達障害の診療を行なっておりません。下記は、一般的な情報提供です。

側頭頭頂接合部 (TPJ)から考える、自閉スペクトラム症 (ASD)の社会認知と医療現場での対応

「分かっているのに、間に合わない」 〜TPJから考えるASDの社会認知

[側頭頭頂接合部 (TPJ)の機能に関しては、コラム:知っておきたい脳の機能:⑥ 側頭頭頂接合部(コラム補完)を参照ください。]

自閉スペクトラム症(autism spectrum disorder:ASD)のある人について、「相手の気持ちが分からない」「心の理論が欠けている」と説明されることがある。しかし、実際の臨床では、それだけでは説明できない場面にしばしば出会う。

落ち着いた診察室で尋ねれば相手の立場を正確に説明できるのに、会話の最中には相手の意図に気づけない。視線の方向は分かるのに、それが何を伝えようとしているのかを即座には読み取れない。 振り返れば状況を理解できるのに、その場では自分の視点から切り替えられない。 このような「能力はあるが、自然に、適切な時機に使うことが難しい」という特徴を考えるうえで、側頭頭頂接合部(temporoparietal junction:TPJ)の研究は重要な手がかりを与えてくれる。

ただし、結論を先に述べれば、「ASDではTPJの働きが低下している」と単純化することはできない。現在注目されているのは、TPJの活動量そのものよりも、社会的情報に対する反応の選択性、活動が立ち上がるタイミング、そして他の脳領域との連携の仕方である。

TPJは一つの「心の理論中枢」ではない

TPJは、側頭葉と頭頂葉が接する領域の総称であり、境界の明瞭な一個の脳部位ではない。

後部上側頭溝(pSTS)、角回、縁上回、下頭頂小葉など、複数の領域が含まれる。そのため、TPJは一つの仕事だけをしているのではなく、場所によって異なる役割を担っている

後方のTPJは、内側前頭前野、後部帯状皮質、楔前部などと協調し、「相手は何を知っているか」「なぜその行動をしたのか」といった信念や意図の推定に関与する。

前方のTPJは、予想外の出来事に注意を向け直す働きと関係する。 pSTSは、視線、表情、身振り、生物らしい動きなど、時間的に変化する社会的信号の読み取りに重要である。 さらに右縁上回を含む領域は、自分と他者の感情や身体状態を区別する働きに関係する。

したがって、TPJを「他人の心を読む場所」とだけ表現すると、重要な点を見失う。

実際には、社会的な出来事に気づき、その意味を推定し、自分の見方と相手の見方を整理して、次の行動を選ぶという一連の過程に関わる複数領域の集まりなのである。

「活動」と「機能結合」は何が違うのか

脳画像研究では、「TPJの活動が低い」「機能結合が弱い」という表現が使われる。両者は同じ意味ではない。

機能的MRIで測定される活動は、課題中にその領域の血流・酸素化を反映するBOLD信号がどの程度変化したかを示す。これは神経細胞の興奮や抑制を直接測っているわけではない。

一方、機能結合とは、離れた脳領域の信号が時間的にどの程度連動して変化するかを示す統計的な指標である。二つの領域の間に神経線維が直接つながっていることや、どちらかが他方を動かしていることを証明するものではない。

この区別は重要である。

TPJの局所活動が保たれていても、前頭葉などとの連携が弱ければ、社会的情報を行動選択へうまくつなげられない可能性がある。 逆に、TPJの反応が小さくても、前頭葉による意識的な推論を強く動員することで、課題には正答できるかもしれない。 ASDで低活動と過活動、低結合と高結合の両方が報告されるのは、研究結果が無秩序だからではなく、人や課題によって使われる代償経路が異なるためとも考えられる。

暗黙的メンタライジング 〜質問されれば分かるが、自然には使いにくい

メンタライジングとは、他者の信念、知識、意図、感情を推定し、その人の行動を予測する働きである。

古典的な「誤信念課題」では、登場人物が事実と異なる理解をしている場面を示し、「この人はどこを探すと思いますか」と質問する。このような明示的課題では、何を考えればよいかが示され、時間をかけた言語的推論も利用できる。 知的・言語能力が保たれたASD成人では、明示的課題の成績が定型発達者と変わらないことが少なくない。大規模研究では、課題成績だけでなく、TPJを含む心の理論ネットワークの活動にも明確な群差が認められなかった。これは、ASDのある人が他者の信念を理解できないという一律の説明に反する。

一方、「この人の考えを推測してください」と指示せず、映像を見るときの視線や反応時間から他者の信念利用を調べると、異なる結果が得られることがある。

ASD群は質問には正答できても、登場人物が次に何をするかを先取りする視線が生じにくい。fMRI研究でも、対照群で認められる右TPJの「他者の誤った信念」に対する選択的反応が、ASD群では明瞭でないことが報告されている。

重要なのは、ASD群が必要な場面をまったく見ていなかったとは限らない点である。視覚的情報は取り込まれていても、それを他者の心的モデルの更新に使い、次の行動予測へ反映する過程が、自動的には進みにくい可能性がある。

これは「心が理解できない」というより、「心について考える必要があると明示されなければ、その処理が立ち上がりにくい」「立ち上がっても実際の会話速度に間に合わない」という違いに近い。

もっとも、視線から暗黙的な心の理論を測定する課題には、再現性の問題がある。注意、刺激への慣れ、単純な予測学習でも結果が変わるため、「自動的な心の理論機能が障害されている」と断定することはできない。暗黙的課題の所見は、能力の有無を判定する検査ではなく、社会情報が自発的に利用される条件を調べる手段として読むべきである。

視線や行為は見えていても、その社会的意味がすぐには決まらない

視線理解には、少なくとも三つの段階がある。

第一に眼がどちらを向いたかを検出し、 第二にその方向へ注意を移し、 第三に「なぜそこを見たのか」「何を求めているのか」を推定する段階である。 ASDでは、最初の二段階が常に障害されるわけではない。

ある研究では、人物が目標物を見る場面と、目標物のない方向を見る不自然な場面が比較された。

定型発達者のSTSは、同じ眼球運動でも、視線が状況に合わない場合に強く反応した。ところがASD群では、この「意図の不一致」による反応の変化が乏しかった。 また、視線と矢印に従って注意を移す課題では、ASD群も行動上は正しく反応できたが、定型発達者にみられる「視線を特別な社会的手がかりとして扱う脳活動」は弱かった。

したがって、診察時のアイコンタクトの多寡だけから社会理解を判断することはできない。

視線を合わせていても、その意味の解釈に大きな認知負荷がかかっている人がいる。逆に、視線を避けていても、周辺視、声の調子、言語情報を利用して相手の意図を理解できる人もいる。 視線接触を一律に求めることは、かえって内容理解に使える認知資源を減らす可能性がある。

行為理解にも同じ構造がある。

ASDのある人が「何をしているか」を認識できても、「なぜそれをしたか」という意図の推定には、より大きな負荷がかかることがある。生物学的運動を用いた研究では、右pSTSの活動低下と、pSTS―前頭頭頂ネットワーク間の機能結合低下が、動作から感情を読み取る成績と関連した。 一方、意図判断時に下前頭回の活動が増加する研究もある。後部側頭領域から直感的に得られる情報を、前頭葉の意識的推論で補っている可能性がある。

自己―他者切替は、一個のスイッチではない

他者の立場に立つためには、自分が知っていることと相手が知っていることを同時に保持し、両者の違いを見つけ、今どちらの視点を使うべきか選択する必要がある。これは単純な「共感のスイッチ」ではなく、TPJ、縁上回、mPFC、下前頭回、背外側前頭前野などが協働する制御過程である。

ASD成人を対象とした研究では、他者の視点へ切り替える際の負荷が比較的大きい一方、自分の視点を答えるときに他者の見方から受ける干渉は小さいことが示されている。

これは「自己中心的である」という価値判断とは異なる。他者モデルが自動的に割り込んでくる程度が弱く、必要なときに意識的な操作によって呼び出される、という認知様式の違いと考えられる。場合によっては、周囲の意見に引きずられず、事実や自分の判断を保ちやすいという長所にもなりうる。

また、認知的な心の理論に差がみられても、他者の苦痛に情動的に反応する力や、自分と他者の感情を区別する働きが保たれている場合がある。

ASDを「共感性がない」「自他の区別ができない」と一般化してはならない

医療現場で問うべきは、能力の有無ではなく「利用できる条件」である

メンタライジングの困難を共感性の欠如と同一視してはならない。認知的に相手の信念を推定する力と、相手の苦痛に情動的に反応する力は分離しうる。現実の対人困難はASD当事者側だけに内在するのではなく、異なるコミュニケーション様式をもつ者同士の予測不一致、いわゆる「二重共感問題」(著者注1)としても生じる。

TPJ研究から臨床へ持ち帰るべき要点は、「この人は相手の気持ちを理解できるか」という二分法を離れることである。むしろ、どのような条件なら社会情報を利用できるかを観察したい。

たとえば、

質問を具体的にすると理解できるのか、 考える時間を確保すると答えられるのか、 口頭説明だけでなく文書や図を示すと分かりやすいのか、 複数人の会話より一対一のほうが理解しやすいのか、 を確認する。 自己と他者の認識が食い違った場面では、「相手はこう考えているようです」と視点を明示するだけで切替が容易になることもある。

病棟や外来では、

曖昧な指示、 予定の突然の変更、 複数スタッフからの異なる説明、 表情だけで同意や不満を読み取ること、 の要求が負荷となる。 したがって、暗黙の期待を言葉にする、指示を具体化する、予定変更の理由を説明する、応答を急がせない、重要事項を視覚的にも提示するといった対応が有効である。 これらは単なる親切ではなく、社会的情報処理に必要な時間と認知資源を保障する合理的配慮である。

さらに、疲労、不安、抑うつ、感覚過敏、注意特性、アレキシサイミア(著者注2)、睡眠不足が加わると、普段は可能な視点切替が難しくなる。状態が悪いときの失敗だけを、その人の固定的能力と判断しないことも重要である。

(著者注1)「二重共感問題」

ASD者と非ASD者の意思疎通の難しさを、ASD者側の共感性の欠如だけでなく、経験世界や情報処理、表情・言語の使い方が異なる者同士の相互的な理解のずれとして捉える考えです。ASD者は、数的にマイノリティであるために、マジョリティを基準として作られた社会規則や習慣に馴染み難いと言う視点です。

(著者注2)アレキシサイミア

アレキシサイミア(失感情症)とは、感情がないのではなく、自分の感情を認識し、言葉で表現することが難しい傾向をいう。身体感覚との区別にも困難を伴うことがあり、ASDに限らずみられる。

おわりに

ASDの社会認知を、他者理解の「欠如」として捉えるだけでは、当事者が示す多様な臨床像を説明できない。TPJ研究が示唆するのは、社会的手がかりを見つけ、それに意味を与え、他者モデルを更新し、自己視点から切り替える一連の過程が、状況によって立ち上がりにくかったり、時間を要したり、意識的な推論を必要としたりする可能性である。

「聞かれれば分かる」が「自然には気づきにくい」。

「行為は見える」が「その場の意図へすぐには変換されない」。 「他者の立場を理解できる」が「会話の速度で切り替えるには負荷がかかる」。 この違いを理解すれば、医療者はASDのある人を能力の欠如として評価するのではなく、その能力が発揮される条件をともに整えることができる。

対人関係の行き違いは、ASDのある人だけの問題でもない。

異なる情報処理様式をもつ者同士が、相手も自分と同じ手がかりを同じ速さで利用すると想定したときに生じる。 支援とは、一方を多数派の理解様式へ近づけることだけではなく、双方が予測可能な形で情報を共有できる環境をつくることなのである。