自称”不眠”:『一晩中、起きていた』の正体

 

「一晩中、起きていた」の正体

〜あなたの眠りは“脳”の疲れか、“体”の過覚醒か〜
不眠の悩みイメージ「昨日は一睡もできなかった……」 朝、重い体を引きずってそうこぼしたとき、隣で寝ていたパートナーから「えっ? 高いイビキをかいてぐっすり寝ていたよ」と言われ、釈然としない思いをしたことはありませんか? 「自分はこんなに苦しいのに、嘘つきだと思われているのではないか」 「時計の音をずっと聞いていた感覚があるのに、なぜ?」 実は、このような「主観的な実感」と「客観的な事実」のズレは、精神医学の世界では非常に重要な診断の手がかりになります。今回は、ペンシルベニア州立大学のVgontzas教授らが提唱した最新のモデルをベースに、不眠の「2つの正体」について紐解いていきましょう。

1. 「一睡もしていない」という脳の誤解

不眠症には、大きく分けて2つのタイプがあることがわかっています。 一つは、実際に睡眠時間が短い「客観的不眠(ISS)」。 もう一つは、脳波上は眠っているのに、本人の実感としては起きていたと感じる「主観的不眠(INS)」です。後者は「睡眠状態誤認」とも呼ばれます。 なぜ、寝ているのに「起きている」と感じてしまうのでしょうか? その鍵を握るのが、脳内のネットワーク「デフォルトモード・ネットワーク(DMN)」です。 DMNは、私たちがボーッとしているときや、自分自身についてあれこれ考えているときに活発になるネットワークです。通常、深い眠りに入るとこのDMNの活動は低下し、意識が消えます。しかし、主観的な不眠に悩む方の脳内では、眠っている間もこのDMNが「オン」のまま残り続けていることが近年の研究で示唆されています。 つまり、脳の一部は眠っているけれど、自分自身を監視する部分(DMN)が起きているため、朝起きたときに「ずっと何かを考えていた」「ずっと起きていた」という記憶だけが定着してしまうのです。これは、パソコンの画面は暗いけれど、バックグラウンドで重いソフトがずっと動いているような状態だと言えるでしょう。

2. どちらのタイプかを見極める「日中のサイン」

自分がどちらのタイプに近いのかを知ることは、正しい治療への近道です。病院で精密な検査(睡眠ポリグラフ検査)を受けるのが確実ですが、実は「日中の様子」を振り返るだけでも、多くのことが見えてきます。

【客観的不眠(ISS)のサイン】

このタイプは、体全体が「戦闘モード(生理的過覚醒)」にあります。
  • 日中の眠気: 非常に強く、隙があればどこでも居眠りをしてしまう。
  • 疲労感: 「体が重い」「横になりたい」という生理的な疲労。
  • 体の症状: 脈拍が高めだったり、常に交感神経が優位でリラックスしにくい。
  • 周囲の観察: パートナーから見ても「確かに夜中に何度も起きてスマホを触っていた」など、訴えと事実が一致する。

【主観的不眠(INS)のサイン】

こちらは、心や認識が「緊張モード(認知的過覚醒)」にあります。
  • 日中の眠気: 「眠れない」という訴えは強いが、意外と日中に居眠りをすることは少ない。
  • 疲労感: 「脳が疲れている」「ソワソワして落ち着かない」という情緒的な疲労。
  • 体の症状: 睡眠そのものよりも、「眠れていないことへの不安」が非常に強い。
  • 周囲の観察: 「スースー寝息を立てていたよ」と言われるなど、訴えと事実に乖離がある。

3. タイプ別・治療の「第一選択」

自分がどちらのタイプかによって、薬や治療のアプローチはガラリと変わります。

客観的不眠には「ブレーキ」をかける

実際に睡眠時間が短いタイプは、脳の「覚醒スイッチ」が壊れてオフにならない状態です。ここでは、近年登場したDORA(オレキシン受容体拮抗薬)というタイプのお薬が力を発揮します。 これは、脳の覚醒を維持する「マスタースイッチ」をブロックするお薬です。従来の睡眠薬のように脳を無理やり眠らせるのではなく、過剰な覚醒を抑えて「自然な眠りの構造」を維持してくれるのが特徴です。

主観的不眠には「認識」を整える

一方で、寝ているのに「起きていた」と感じてしまうタイプには、単に眠りを深くするだけでは不十分なことがあります。 大切なのは、DMNの空回りを抑え、脳に「今は眠っていいんだ」と学習させ直すことです。
  • 認知行動療法(CBT-I): 「一晩中起きていた」という思い込みを、客観的な事実(パートナーの証言など)をもとに修正していくトレーニングです。
  • マインドフルネス: 「今、この瞬間」に意識を向け、DMNが作り出す雑念(マインドワンダリング)を受け流す練習をします。
  • SSRIの活用: 意外に思われるかもしれませんが、うつや不安に使われるSSRIというお薬が有効な場合があります。これはDMNの過剰な繋がりをほどき、脳の「不安への過敏さ」を和らげることで、主観的な満足度を高める効果が期待できるからです。

4. 「ズレ」を知ることから始まる回復

もしあなたが、「自分は一睡もできていないのに、周りは寝ていたと言う」という状況にあるなら、それは孤独なことではありません。それはあなたの脳が、あなたを守ろうとして一生懸命に「周囲を監視し続けている」証拠かもしれません。 まずは、パートナーや家族に「私が寝ているとき、どんな様子だった?」と詳しく聞いてみてください。「布団に入ってすぐ寝息を立てていたよ」という言葉を、否定されたと捉えるのではなく、**「自分の脳は、自分が思っているよりは休めていたのかもしれない」**という発見の材料にするのです。 この「感覚と事実のズレ」を受け入れることが、脳の緊張を解くための最初の一歩になります。

おわりに

不眠は単なる「時間の不足」ではなく、脳と体の「モードの不一致」です。 自分が「体が起きてしまっている」のか、それとも「脳の監視カメラが止まらない」のか。それを正しく見極めることで、あなたに合った最適な休息法が必ず見つかります。 今夜、もし目が覚めてしまったら、「あぁ、今は私のDMNが少し活発なだけだな」と、少し客観的に自分を眺めてみてください。その少しの「あきらめ」と「受容」が、深い眠りへの扉を開く鍵になるはずです。