ベンゾジアゼピン系睡眠薬の科学
脳の「ブレーキ」を助ける名脇役 ―― ベンゾジアゼピン系睡眠薬の科学
「なかなか寝付けない」「夜中に何度も目が覚めてしまう」……。現代社会において、睡眠の悩みは切実です。そんな時、医療機関で処方されることが多いのが「ベンゾジアゼピン(BZD)系睡眠薬」です。
名前は少し難しそうですが、これらは一体、私たちの脳の中でどのように働いて眠りを誘っているのでしょうか。最新の大脳生理学の知見を交えながら、その「舞台裏」をのぞいてみましょう。
1. 脳の中に備わった「天然のブレーキ」
私たちの脳は、数千億個もの神経細胞が電気信号を送り合うことで、思考や感情、身体の動きをコントロールしています。この信号には、活動を促す「アクセル」と、興奮を抑える「ブレーキ」の2種類があります。
この「ブレーキ」の役割を担う主役が、GABA(ギャバ)という物質です。
神経細胞にGABAが結合すると、細胞内にマイナスの電気を帯びた「塩化物イオン」が流れ込みます。すると、細胞の電位が下がり、次の電気信号が伝わりにくくなります。これが、脳の興奮が静まり、リラックスした状態に向かう仕組みです。
2. 鍵穴に差す「潤滑油」のような働き
ベンゾジアゼピン系睡眠薬は、自らが主役になってブレーキをかけるわけではありません。あくまで「GABAという主役の働きを強化する」という、名脇役のような立ち位置にいます。
神経細胞の表面には、GABAがはまる「鍵穴(受容体)」があります。ベンゾジアゼピン系薬剤がそのすぐ隣にある専用のスペースに結合すると、鍵穴の形がわずかに変わり、GABAがより強力に結合できるようになります。
例えるなら、「ブレーキの効きを良くする潤滑油」のようなものです。これにより、脳全体の興奮レベルがスムーズに下がり、眠りへと導かれるのです。
3. 脳の「情報検問所」を閉じる
眠りにつくためには、外からの刺激を遮断する必要があります。ここで重要な役割を果たすのが、脳の深部にある「視床(ししょう)」という部位です。
視床は、五感から入ってくる情報を大脳皮質へと通すか止めるかを判断する「情報の検問所(ゲート)」です。起きている間、この検問所はフル稼働していますが、眠る時にはゲートを閉じなければなりません。
ベンゾジアゼピン系薬剤は、この視床にある「ゲートを閉じる担当の神経」の働きを強めます。その結果、外からの情報が脳の表面に届かなくなり、意識が外界から切り離され、私たちは深い眠りの世界へと入っていくことができるのです。
4. なぜ「ふらつき」や「副作用」が起きるのか?
ベンゾジアゼピン系薬剤には、眠り以外にも、不安を和らげる(抗不安)、筋肉の緊張を解く(筋弛緩)といった作用があります。これは、脳や脊髄のいたるところにGABAのブレーキが存在するためです。
- 睡眠を司る場所に働けば「眠気」が出ます。
- 感情を司る場所に働けば「安心感」が得られます。
- 運動を司る場所に働けば「ふらつき」や「脱力」が起きます。
5. 「自然な睡眠」との違いを知る
お薬によって得られる睡眠は、実は自然な睡眠とまったく同じではありません。脳波を詳しく調べると、ベンゾジアゼピン系薬剤を使用した場合、深い睡眠(徐波睡眠)や、夢を見る睡眠(レム睡眠)が少し減少する傾向があることが分かっています。
「ぐっすり眠れた」という主観的な満足感は得られやすいのですが、脳の活動パターンとしては、少し特殊な状態を作り出しているのです。そのため、漫然と使い続けるのではなく、医師の指導のもとで「睡眠の質」そのものを改善していく視点が欠かせません。
