アンリ・ベルクソン「笑い」〜笑いの哲学〜

生のしなやかさを取り戻すための哲学
アンリ・ベルクソン『笑い』

アンリ・ベルクソン

哲学者アンリ・ベルクソンが120年以上前に著した『笑い』。この本は、単なる「ユーモアの分析」を超えて、私たちがどう生きるべきかを示唆する、現代人にとっても非常に刺激的な一冊です。忙しい日常の中で、私たちはなぜ笑い、笑われるのか。一般の方向けのコラムとして、その核心を解き明かしていきます。

1. 私たちはなぜ「人間」を見て笑うのか

ベルクソンの考察は、意外な観察から始まります。私たちは、雄大な山々を見て感動することはあっても、それ自体を「おかしい」とは思いません。帽子が笑えるのは、それが人間の頭の形をしているから。動物が笑えるのは、彼らが人間のような「しぐさ」を見せた時だけです。

ベルクソンは断言します。「人間的なもの以外に、笑いの対象はない」と。

そしてもう一つ、笑いには不可欠な条件があります。それは「心の一時的な麻痺」です。誰かが派手に転んだ時、もしその人の痛みを自分のことのように感じてしまったら、私たちは笑えません。笑いの瞬間、私たちの感情は一歩引いて、冷徹な「観客」になっているのです。

2. 笑いの正体は「人間の中の機械」

では、人間を見て「おかしい」と感じる決定的な瞬間とはいつでしょうか?
ベルクソンは、この本の核心となる笑の対象となる本質的な要素に対して、有名な定義を残しました。

「生きているものの上に塗り重ねられた、機械的なもの」

人間とは本来、柔軟で、絶えず変化し、状況に合わせて自分を変えていける「しなやかな存在」です。しかし、時としてそのしなやかさを失い、まるでネジを巻かれた機械のように動いてしまうことがあります。私たちは、その「硬直」を見た時に笑うのです。

「つまずく人」がなぜ面白いのか

例えば、道に落ちている石に気づかず、派手につまずく人を想像してみてください。
もしその人の、柔軟な意識を持って一歩一歩を確認していたら、転ぶことはありませんでした。しかし、彼は「習慣の機械的な繰り返し」に身を任せていたために、変化に対応できず転んでしまったのです。
身体が意識を追い越し、人間が単なる「物(物体)」のように重力に従ってしまった瞬間。そこに、笑いが生まれます。

3. 社会が「笑い」というお仕置きを与える理由

ベルクソンは、笑いを単なる個人の感情ではなく、「社会的な防衛本能」だと捉えました。

社会というものは、常に動いており、複雑です。そこでうまくやっていくためには、私たちは常に周囲に注意を払い、柔軟に適応し続けなければなりません。逆に、自分の殻に閉じこもり、決まりきった行動や考え方に固執する「硬直した人間」が増えると、社会は停滞してしまいます。

そこで社会は、「笑い」という名のソフトな制裁を発動します。
「あなたは今、機械みたいになっていて不自然ですよ」「もっと柔軟になりなさい」という警告を、笑いという形で突きつけるのです。笑われた側は、恥ずかしさを感じます。その恥ずかしさがバネとなり、人は自分の硬直を解き、再びしなやかな「生」へと戻ろうとするのです。

4. 私たちの周りに潜む「笑い」のパターン

ベルクソンは、この「機械的な硬直」がどのように日常に現れるかを、いくつかのパターンに分類しています。

  • 繰り返しの笑い(びっくり箱): 何度押さえつけてもバネで飛び出す人形のように、同じ失敗や、同じ口癖を繰り返してしまう人。
  • あやつり人形の笑い: 自分の意志で動いているつもりが, 実は誰かの言葉や流行に、糸を引かれるように動かされている状態。
  • 職業的な硬直: どんな場面でも「役所の役人」としてしか振る舞えない、あるいは「常に営業マン」としてしか会話ができないといった、職業上の型から抜け出せない不器用さ。

これらはすべて、その時々の「生きた状況」を見ず、あらかじめ決められた「プログラム(機械)」通りに動いてしまっている姿なのです。

結論:笑いは「生の躍動」を取り戻すための泡

ベルクソンは、笑いを海辺の「泡」に例えて締めくくります。
泡は、波が岩にぶつかる激しい動きの結果として生まれます。それは軽やかで、一瞬で消えてしまうものですが、そこには海(=生命)のエネルギーが満ち溢れています。

現代の私たちは、効率性やルーティン、あるいはSNS上の決まりきった反応など、知らず知らずのうちに「機械的な生き方」に飲み込まれがちです。

「いつも同じ不満を漏らしていないか?」
「他人の目を気にして、あやつり人形になっていないか?」
「肩書きという仮面に顔を固めていないか?」

もし誰かに笑われたなら、それはあなたが「機械」になりかけているという、社会からの親切なサインかもしれません。笑いは、私たちが「物」ではなく「生きた人間」であることを思い出させてくれる、魂の安全装置なのです。