ノーベル賞候補研究:小胞体ストレス応答と病気のつながり
ノーベル賞候補研究:小胞体ストレス応答と病気のつながり
森和俊博士が解き明かした、細胞の「品質管理」
1.細胞の品質管理を解き明かした森和俊
私たちの体を支えるタンパク質は、細胞の中で次々につくられています。しかし、すべてが最初から正しく仕上がるわけではありません。形を整えられないものや、途中で組み立てがうまくいかなくなるものも生じます。そんなとき、細胞は異常に気づき、生産量を調整し、修復と処分を進めます。 この「細胞の品質管理」の仕組みを解き明かした中心人物の一人が、分子生物学者の森和俊博士です。
森博士は1958年、岡山県倉敷市に生まれました。京都大学で工学部から薬学部へ進路を変え、1987年に薬学博士号を取得。1989年に留学した米国テキサス大学サウスウェスタン医療センターで、後に生涯の研究テーマとなる「小胞体ストレス応答」に出会います。 帰国後は企業の研究所と京都大学で研究を進め、2026年4月には名城大学薬学部教授に就任しました。京都大学高等研究院特別名誉教授も務めています。
その業績は、2009年のカナダ・ガードナー国際賞、2014年のラスカー基礎医学研究賞とショウ賞、2023年の慶應医学賞などで評価されてきました。ラスカー賞は、米国のピーター・ウォルター氏との共同受賞です。 二人が切り開いた研究は、細胞の基本的な働きを理解するだけでなく、糖尿病や脳の病気、がんを考えるための重要な土台になっています。
2.タンパク質を正しい形に整える小胞体
この発見を理解するには、タンパク質が「形を持つ分子」であることを知る必要があります。 タンパク質は、アミノ酸がつながった鎖として合成されます。その鎖が適切に折り畳まれ、固有の立体構造をとることで、多くのタンパク質は本来の役割を果たせます。設計図に従って部品を並べるだけでなく、正しく組み立てる工程も必要なのです。
その重要な作業場が、細胞内に広がる膜の網目「小胞体」です。 細胞でつくられるタンパク質の約3分の1が、この小胞体を経由するとされています。インスリンなどの分泌タンパク質、抗体、細胞表面の受容体やイオンチャネルなどが代表例です。 小胞体では「分子シャペロン」と呼ばれるタンパク質が、ほかのタンパク質の折り畳みや組み立てを助けています。
ところが、酸素や栄養の不足、感染、遺伝子変異、あるいは生産量の急増などによって、処理が追いつかなくなることがあります。正しく折り畳まれていないタンパク質が小胞体に蓄積する、この状態が「小胞体ストレス」です。 ここでいうストレスは、小胞体の処理能力を超える負荷を意味します。その負荷に対応する仕組みが、小胞体ストレス応答、英語の略称でUPRです。
3.生産・修復・分解を調節する、小胞体ストレス応答(UPR)
UPRの基本は、「生産を調整する」「仕上げを助ける」「処分を進める」という三つの対応です。 1. 新たなタンパク質の合成を全体として抑え、作業場への流入を減らします。 2. BiPという分子シャペロンなどを増やして、折り畳みを助ける能力を高めます。 工場でいえば、製造ラインの速度を落としながら、熟練した作業員を増やす対応です。 3. 正しい形に整えられないタンパク質は、分解する必要があります。 その代表が「小胞体関連分解」、略してERADです。対象となるタンパク質を小胞体から細胞質側へ取り出し、ユビキチンという目印を付け、プロテアソームという分解装置で処理します。UPRは、この処分の仕組みを強める働きも持っています。
ただし、負荷が強すぎたり長く続いたりすると、立て直しが難しくなります。その場合には、CHOPなどの分子を介して、細胞がアポトーシスという細胞死へ向かうことがあります。 UPRは基本的には細胞を守る応答ですが、回復できない状況では細胞死にもつながる、両面性を持つ仕組みなのです。
UPRは、健康な細胞の働きも支えています。免疫細胞が大量の抗体をつくるなど、生理的に生産量が増える場面でも、小胞体の処理能力を調節します。危機への対応と、日常の需要への適応は、細胞の中で地続きになっています。
4.異常を核へ伝える仕組みの発見
では、小胞体の内部で起きた異常は、どのようにして遺伝子のある核に伝わるのでしょうか。森氏が研究を始めたころ、異常なタンパク質が増えるとシャペロンも増えることは知られていました。しかし、その間を結ぶ連絡経路は謎でした。
1993年、森氏とウォルター氏の研究グループは、それぞれ独立に、出芽酵母で「IRE1」という分子がUPRに欠かせないことを突き止めました。IRE1は小胞体の膜を貫き、内側の異常を細胞質側へ伝えます。いわば、作業場の混雑を外へ知らせる警報装置です。
さらに研究が進むと、情報の伝え方にも驚くべき仕掛けが見つかりました。 IRE1は、HAC1という遺伝子からつくられたメッセンジャーRNAを切断します。別の酵素が切り口をつなぐと、遺伝子の働きを調節するHac1タンパク質をつくれるようになります。 核の中で通常行われるRNAの編集とは異なる、細胞質での特殊な「切り貼り」が、警報を具体的な対策へ変えていたのです。
5.哺乳類を守る三つのセンサー
哺乳類の細胞では、この仕組みはさらに多層的です。 主なセンサーとして、IRE1、ATF6、PERKという三つの分子が働きます。森氏らは、とくにATF6の活性化の仕組みと、IRE1からXBP1へ情報を伝える経路の解明に大きく貢献しました。
ATF6は、平常時には小胞体の膜にあります。ストレスが起こるとゴルジ体へ移動して切断され、その一部が核に入り、シャペロンなどを増やす遺伝子を働かせます。一方、IRE1はXBP1のメッセンジャーRNAの特殊な切り貼りを進めます。その結果つくられる活性型XBP1が、折り畳みや分解に必要な装置の増強を促します。
もう一つのPERKは、タンパク質合成にブレーキをかける役割を担います。 この経路の発見には、デビッド・ロン氏ら別の研究者たちも貢献しました。 三つの経路は相互につながっており、必ず一定の順番で作動するわけではありません。細胞の種類や負荷の内容に応じて、働き方や持続時間が変わります。
6.オートファジーと協力する品質管理
UPRは、大隅良典氏の研究で広く知られるようになったオートファジーとも関係します。 オートファジーは、細胞内の成分を回収し、分解して再利用する仕組みです。UPRは、小胞体の状態に応じて生産・折り畳み・分解を調節します。両者は協力しながら、細胞全体のタンパク質の健全さを保っています。
7.神経細胞を守る応答と、その限界
この品質管理は、長い年月にわたって働く神経細胞にも重要です。 アルツハイマー病などの患者の脳では、UPRに関係する分子の変化が報告されています。 また、プリオン病のマウスでは、タンパク質合成へのブレーキが長くかかり続けることで、シナプスの維持に必要なタンパク質が不足し、神経機能が損なわれることが示されました。
ただし、神経変性疾患に関係する異常タンパク質が、すべて小胞体の中にたまるわけではありません。細胞質やミトコンドリアなどの異常が、小胞体の働きと影響し合う場合もあります。UPRの調節は治療研究の有力な方向ですが、動物実験での神経保護作用を、そのまま人の治療効果と同一視することはできません。
8.精神疾患と向精神薬への新しい視点
精神医学でも、小胞体の対応力に注目した研究あります。 加藤忠史氏らは、双極症の患者由来の細胞を用いた研究で、XBP1などが関わるストレス応答の低下を報告しました。これは、気分の変動を、神経伝達物質だけでなく細胞の負荷への弱さから考える手がかりになりました。ただし、双極症全体の原因をこれだけで説明できる段階ではありません。
リチウムやバルプロ酸にも、一部の細胞・動物実験で、シャペロンを増やしたり小胞体ストレスに対する抵抗力を高めたりする作用が報告されています。 また、小胞体とミトコンドリアの接触部位にあるシグマ1受容体は、カルシウムの受け渡しなどを調節します。フルボキサミンがこの分子に作用して細胞を保護するという研究もあります。 しかし、こうした作用が患者の気分改善をどの程度説明するかは、まだ研究課題です。
9.インスリンの増産と糖尿病
糖尿病との関係は、工場のたとえで理解しやすいでしょう。 膵臓のβ細胞は、インスリンのもとになるプロインスリンを大量につくり、小胞体で折り畳んでいます。インスリンが効きにくくなると、β細胞には増産が求められます。その負荷が処理能力を上回り続けると、分泌機能の低下や細胞死につながる可能性があります。 これは2型糖尿病の進行に関わる複数の仕組みの一つであり、すべての患者に共通する単独の原因ではありません。
10.がん細胞の弱点を治療に生かす
がんでは、細胞を守るUPRが、がん細胞の生存を助けてしまう場合があります。 酸素や栄養の乏しい環境でも、一部のがん細胞はこの応答を利用して生き延びます。そのため、がん細胞が依存する品質管理の仕組みを崩すことが、治療の狙いになります。
代表例が、多発性骨髄腫に使われるボルテゾミブです。抗体をつくる性質を持つ骨髄腫細胞に対し、この薬はプロテアソームによる分解を妨げます。処理できないタンパク質が増えて細胞の負担が高まり、細胞死につながります。これは薬の作用を説明する重要な仕組みの一つです。ただし、ボルテゾミブはUPRのセンサーそのものを直接阻害する薬ではありません。
11.生命を支える「つくった後」の仕組み
こうして見ると、UPRを強めれば常によいとも、弱めれば病気が治るとも言えません。守りたい細胞では回復力を支え、がん細胞ではその依存性を治療に利用する。病気の種類と進行段階に応じて、どの働きをどう調節するかが問われています。
森先生らの研究が示したのは、生命が、ものをつくる力に加えて、その状態を見張り、手直しし、状況に応じて生産を変える力に支えられているということです。細胞は、失敗が起こるたびに調整を重ねています。その小さな営みを分子の言葉で説明した発見が、いま、さまざまな病気を理解し直すための視点を与えているのです。
