ノーベル生理学・医学賞を手にしなかった”日本の巨星たち”
ノーベル生理学・医学賞を手にしなかった”日本の巨星たち” 〜大野乾から遠藤章まで
ノーベル賞だけでは見えない、生命科学史に刻まれた研究
はじめに:栄光のスポットライトの外側にある「影のパンテオン」
毎年10月、ストックホルムから届くノーベル賞の吉報に世界中が沸き立つ。しかし、近代医学と生物学の歩みを少し深く覗き込めば、栄光のスポットライトのすぐ外側に、巨大な足跡を残しながらもメダルを手にすることのなかった「影のパンテオン」が存在することに気づかされる。
現在、ノーベル生理学・医学賞には、原則として死後には授与しないこと、そして共同受賞は最大3名までという規定がある。死後授賞を禁じる現行規定は1974年に設けられ、受賞発表後に亡くなった場合には授賞される。こうした制度的制約のもとでは、科学の発展に貢献したすべての研究者を顕彰することはできない。 ただし、選考資料は原則として少なくとも50年間非公開であり、個々の研究者が受賞に至らなかった理由は、必ずしも明らかではない。受賞の有無と、業績の科学的価値は分けて考える必要がある。
1.時代を先取りした視座 〜進化とゲノムの本質を射抜いた大野乾と木村資生
大野乾:「遺伝子重複による進化」と「ジャンクDNA」
現代のゲノム科学に重要な視座を残した研究者の一人が、2000年に71歳で世を去った進化遺伝学者・大野乾(おおの・すすむ)である。
大野が1970年の著書『遺伝子重複による進化』で体系的に示したビジョンは、その後の生物学に大きな影響を与えた。 生存に重要な働きを担う遺伝子には、その機能を保つという制約がある。大野は、この制約を緩め、新しい機能を生む重要な仕組みとして「遺伝子のコピー(重複)」に注目した。スペアの遺伝子ができれば、一方が本来の機能を維持したまま、もう一方が変異を蓄積して新しい機能を獲得できる可能性が生まれる。重複だけが新機能を生むわけではないが、この考え方は進化を理解するための重要な柱となった。 さらに彼は、脊椎動物の初期進化における全ゲノム重複の重要性を提唱した。この構想は、ゲノム全体が2回重複したとする「2R仮説」へと発展した。
それだけではない。主として有胎盤哺乳類のX染色体に載る遺伝子群の高い保存性に注目し、「大野の法則」として知られる考えを示した。
また、1972年には、機能を失った遺伝子の残骸などを「ジャンクDNA」として論じ、ゲノムに刻まれた進化の履歴に目を向けた。ただし、タンパク質を作らない非コード領域のすべてが無機能という意味ではなく、そこには遺伝子の働きを調節する配列や、機能的なRNAを作る領域も含まれる。
晩年にはDNAの塩基配列を音楽のメロディに変換して生命の律動を聴き取ろうとするなど、その知性は分野の境界を越えて広がっていた。
木村資生:「分子進化の中立説」と進化を見る新しい眼
この大野と並び称される理論的巨星が、1968年に「分子進化の中立説」を提唱した国立遺伝学研究所の木村資生(1994年没・享年70)である。
木村は自然選択の重要性を認めつつ、DNAやタンパク質という分子レベルで蓄積する進化的変化の多くは、選択上中立的、あるいはほぼ中立的な変異が偶然によって集団内に広がり、固定される現象(遺伝的浮動)によって説明できると考えた。 この考えを集団遺伝学の数学を用いて理論化し、観測データと照らし合わせたのである。
中立説は大きな論争を引き起こしたが、やがて分子進化学の重要な基礎となり、ウイルスや人類の進化の歴史を分子データから読み解くための理論的な土台の一つとなった。 ただし、自然界の分子進化のすべてが中立的だと数学だけで証明されたわけでも、自然選択の役割が否定されたわけでもない。
大野と木村の構想は、その後のゲノム解析の進展によって、より詳しく検証されてきた。 中立説を支持する証拠は木村の生前から蓄積され、全ゲノム重複については、21世紀の比較ゲノム研究によって重複の時期や系統との関係がさらに明らかになりつつある。
2022年にはスヴァンテ・ペーボが古ゲノム学による人類進化研究で単独受賞した。 しかし、この事実から大野や木村の未受賞理由を説明することはできない。
二人の業績の重みは、受賞の有無とは別に、現代の生命科学のなかに刻まれている。
2.遺伝情報の根幹を解き明かした「岡崎フラグメント」と「mRNAキャップ構造」
岡崎令治・恒子夫妻:DNA不連続複製と「岡崎フラグメント」の発見
理論の巨星たちが進化の見方を変えた一方で、分子生物学の実験現場には、限られた生涯の時間のなかで生命の根源的な謎に挑んだ研究者たちがいた。その象徴が、DNA複製の重要な謎を解き明かした名古屋大学の岡崎令治・恒子夫妻である。
1953年にワトソンとクリックがDNAの二重らせん構造を発表し、その後、DNAを合成する酵素の研究が進むと、あるパラドックスが浮かび上がった。 二重らせんの2本の鎖は互いに逆向き(逆平行)に走っており、複製の際には両方が同時にコピーされる。ところが、DNAポリメラーゼは一方向(5′から3′方向)にしか鎖を伸ばすことができない。では、複製の進行方向に対して逆向きに合成される側(ラギング鎖)は、どうやってコピーされるのか。
1960年代後半、岡崎夫妻らは大腸菌の短時間標識実験や、DNAリガーゼに欠損を持つT4ファージを用いた実験から、短いDNA断片が合成され、後からつなぎ合わされる仕組みを示した。 1968年に発表されたこれらの研究は、ラギング鎖の不連続複製を説明する重要な証拠となった。世界中の生物学の教科書にその名を刻む「岡崎フラグメント(岡崎断片)」の発見である。
しかし、14歳のときに広島で被爆していた令治は慢性骨髄性白血病を発症し、1975年、わずか44歳の若さで急逝してしまう。
研究の当初から苦楽を共にし、後に文化勲章を受章することになる恒子もまた、ノーベル賞を受賞していない。
令治の死後にも、観察された短いDNA断片は複製ではなく修復に由来するのではないか、という批判があった。 恒子らは検証を続け、断片の合成を開始するRNAプライマーの構造を明らかにし、1978年に報告した。
恒子は共同発見者であると同時に、その後の研究を進め、不連続複製の仕組みを確立する中心的な役割を担ったのである。
未受賞の理由は確定できないが、その貢献を令治の研究を支えた役割だけに還元することはできない。
古市泰宏:mRNAワクチンの礎となった「キャップ構造」の発見
そして、もう一人の重要な研究者が、分子生物学者・古市泰宏(2022年没・享年81)である。
古市は国立遺伝学研究所での三浦謹一郎との研究、さらにアメリカのロシュ分子生物学研究所でのアーロン・シャトキンらとの共同研究を通じて、1974~1975年にかけ、ウイルスのmRNAの先頭(5′末端)に、メチル化されたグアノシンが特殊な結合で帽子のように付いている「キャップ構造」を明らかにした。この構造は、真核細胞のmRNAにも広く存在することが示された。
mRNAは分解酵素の作用を受けやすい。キャップ構造は、mRNAを分解から守る「盾」であると同時に、翻訳開始因子を介して、タンパク質合成工場であるリボソームを呼び込むための「通行証」の役割を果たす。 この研究は、人工合成したmRNAを体内に投与するmRNAワクチンの実用化を支える重要な基礎となった。
2023年、カタリン・カリコとドリュー・ワイスマンは、有効なCOVID-19 mRNAワクチンの開発を可能にしたヌクレオシド塩基修飾に関する発見で、ノーベル生理学・医学賞を受賞した。 古市がこの世を去ったのは、その前年の2022年10月である。
授賞対象となった発見とキャップ構造の研究は異なるが、mRNA医薬の背後には、古市らが築いた重要な基礎研究の歴史がある。
3.細胞内シグナルと免疫の扉を開いた江橋節郎、西塚泰美、石坂夫妻
視点を遺伝情報から「細胞の働き」へと移すと、現代の薬理学や臨床医学の骨格を作り上げながら受賞に至らなかった日本の先駆者たちが浮かび上がる。
江橋節郎:筋収縮を制御するカルシウム受容タンパク質「トロポニン」
まず挙げなければならないのが、東京大学の江橋節郎(2006年没・享年83)である。
現在でこそ「カルシウムが筋収縮を調節し、細胞内の情報伝達を担う」ことは常識だが、1950年代には、その具体的な制御機構は十分に解明されていなかった。 リンガーやハイルブルンらによる先行研究を背景に、江橋は筋小胞体が細胞質からカルシウムイオンを取り込むことで筋肉が弛緩することを明らかにし、さらに1965年、カルシウムを受け取って筋収縮を調節するタンパク質「トロポニン」を発見した。
江橋文子ら共同研究者とともに進めたこれらの研究は、筋収縮の制御機構を確立し、細胞内カルシウム研究の礎となったが、ノーベル賞を受賞することはなかった。
西塚泰美:細胞内シグナル伝達を切り拓いた「プロテインキナーゼC(PKC)」
細胞内シグナル伝達研究を大きく前進させたのが、神戸大学の西塚泰美(2004年没・享年72)である。
ホルモンや神経伝達物質が細胞の表面にある受容体に結合したとき、その命令はどうやって細胞の内部へと伝わるのか。 1977年、西塚らは後に「プロテインキナーゼC(PKC)」と呼ばれる新しい酵素を発見した。さらに1979年には、そのカルシウム・リン脂質依存性や、細胞膜の脂質に由来する「ジアシルグリセロール」による活性化を明らかにした。 細胞膜の脂質が、細胞の増殖や分化に関わる情報伝達物質の供給源でもあることを示したのである。
西塚の研究は国際的に広く引用され、ガードナー国際賞、ラスカー賞、ウルフ賞を受賞したが、ノーベル賞を受賞することなく、2004年にくも膜下出血で突然この世を去った。
石坂公成・照子夫妻:即時型アレルギーを媒介する抗体「IgE」の発見
免疫学の領域でこれと並ぶ金字塔を打ち立てたのが、石坂公成(2018年没・享年92)・照子(2019年没・享年92)夫妻らによる「IgE(免疫グロブリンE)」の発見である。
花粉症やアレルギー性の気管支喘息、アナフィラキシーなどの即時型(I型)アレルギーを媒介する抗体は、長年「レアギン」という仮の名前で呼ばれ、その正体は謎に包まれていた。血液中に含まれる量がIgGの1万分の1以下という極微量だったためである。アメリカ・デンバーの研究所で研究を続けた石坂夫妻らは、1966年、この抗体が従来知られていなかった免疫グロブリンクラスに属することを示した。スウェーデンのヨハンソン、ベニッヒらの研究とも結びつき、1968年に「IgE」という名称が正式に合意された。
IgEはマスト細胞(肥満細胞)表面の受容体に結合し、抗原によって架橋されると、ヒスタミンなどの放出を引き起こす。夫妻らの研究は、こうした即時型アレルギーの基本機構の解明を進め、現代の診断や抗IgE療法などの礎となった。
しかし、夫妻ともに90代で相次いで亡くなるまで、ノーベル賞を受けることはなかった。
4.「奇跡の創薬」と、生命の仕組みを解き明かした研究者たち
遠藤章:多くの命を救うコレステロール低下薬「スタチン」
基礎研究だけでなく、人類の健康に直接的な恩恵をもたらした「創薬」の分野でも、未受賞が惜しまれる研究者がいる。コレステロール低下薬「スタチン」を発見した遠藤章(2024年6月没・享年90)である。
高LDLコレステロールは、心筋梗塞などの動脈硬化性心血管疾患の主要な危険因子である。体内のコレステロールは、食事から摂取されるだけでなく、肝臓などでも合成される。 三共(現・第一三共)の研究員だった遠藤は、カビがつくる物質のなかに、コレステロール合成を妨げるものがあるのではないかと考えた。約2年間で6000株もの菌類を調べた末、1973年、京都の米屋から採取された青カビの一種から、コレステロール合成の鍵を握る酵素(HMG-CoA還元酵素)を阻害する物質「コンパクチン(メバスタチン)」を発見した。
この発見から発展したスタチン製剤は、世界中の多くの患者の心血管疾患を予防し、20世紀を代表する創薬の成果の一つとなった。
1985年にはアメリカのブラウンとゴールドスタインが、LDL受容体を中心とするコレステロール代謝の調節機構の研究でノーベル賞を受賞した。遠藤が提供したコンパクチンも彼らの研究に貢献したが、LDL受容体の研究とスタチンの発見は、関連しながらも異なる独創的業績である。
その後、遠藤はラスカー臨床医学研究賞やガードナー国際賞を受賞し、ブラウンとゴールドスタインからも高く評価された。 しかし、ノーベル賞を受賞することなく、2024年6月、90歳で生涯を閉じた。
花房秀三郎:ウイルス発癌機構と「原がん遺伝子」の解明
また、関連する研究分野にノーベル賞が授与されながら、自身は受賞に至らなかった研究者もいる。
ロックフェラー大学の花房秀三郎(2009年没・享年79)は、ニワトリに腫瘍を作るラウス肉腫ウイルスなどを用い、ウイルスが正常細胞に由来する遺伝子を取り込んで、がん遺伝子を獲得する機構を明らかにする重要な実験を行った。正常細胞に関連する遺伝子が存在することの発見と、ウイルスがそれを取り込む機構の実証は、互いに結びつく研究であった。
花房は1982年にラスカー賞を受賞したが、1989年に「レトロウイルスがん遺伝子の細胞起源の発見」でノーベル賞を受賞したのはビショップとヴァーマスの二人であり、花房は含まれなかった。
増井禎夫:細胞周期を駆動する「卵成熟促進因子(MPF)」の発見
さらに、トロント大学の増井禎夫(2024年4月没・享年93)は1971年、共同研究者とともにカエルの卵母細胞を用い、減数分裂の再開を促す「卵成熟促進因子(MPF)」の存在を示した。
成熟した卵母細胞の細胞質を未成熟の卵母細胞に移すと成熟が誘導されるという実験は、細胞質の因子が核の振る舞いを制御することを示す大発見だった。MPFの分子的な正体の解明は、その後の研究によって進められた。
1998年のラスカー賞はハートウェル、ナース、そして増井の3人に授与された。一方、2001年のノーベル生理学・医学賞は、ハートウェル、ナースと、サイクリンを発見したティム・ハントに授与され、増井は受賞者に含まれなかった。
5.科学史の原点から未来へ 〜メダルを超えた不滅
北里柴三郎・山極勝三郎:創設期から続く、評価をめぐる問い
振り返れば、日本の医学研究者とノーベル賞をめぐる評価の問題は、賞の創設当初から存在していた。
1889年に破傷風菌の純粋培養に成功し、1890年には抗毒素と血清療法の研究成果を発表した北里柴三郎(1931年没)は、1901年の第1回ノーベル生理学・医学賞に推薦された。 しかし受賞したのは、共同研究者であったドイツのベーリング一人であり、授賞理由では血清療法、とくにジフテリアへの応用が評価された。
また、1915年にウサギの耳にコールタールを塗り続け、世界で初めて化学物質による人工発癌に成功した東京帝国大学の山極勝三郎(1930年没)と市川厚一も、受賞には至らなかった。 1926年度のノーベル賞に選ばれたのは、特定の寄生虫によってラットに癌が生じると報告したデンマークのフィビゲルである。しかし、その発癌に関する結論は後に否定され、この授賞はノーベル賞の選考をめぐる問題事例として検証されてきた。 山極は1930年、ノーベル賞を受賞することなく世を去った。
おわりに:人類共通の「生命の文法」という真の不滅
しかし、これらすべての物語は、決して「敗北の歴史」ではない。
ノーベル賞という制度がどれほど権威を持とうとも、それは人間が作った一定のルールと時代的制約のなかで運用される一つの指標に過ぎない。選考機関がメダルを授けようと授けまいと、発見の科学的価値が失われることはない。
いまこの瞬間も、私たちの体内で分裂する細胞では、増井禎夫がその存在を示したMPFが細胞周期の重要な局面を動かしている。 DNAが複製される際には、ラギング鎖で無数の「岡崎フラグメント」が紡がれる。 また、古市泰宏らが明らかにした「キャップ構造」を持つmRNAが遺伝情報を運んでいる。 私たちの心臓が鼓動するたびに、江橋節郎らが解明したカルシウムとトロポニンによる制御機構が働く。 病院の診察室では毎日、遠藤章の発見から生まれたスタチンが心血管疾患の予防に役立ち、 石坂夫妻らのIgEに関する発見が、アレルギーに苦しむ人々の診療を支えている。 そして、そのすべての生命現象の背後には、大野乾や木村資生が読み解いた、幾億年の進化の記憶が脈打っている。
一時の栄誉やメダルという物質的な形を超え、自らの名前と発見が「生命を語るための人類共通の文法」そのものとして、教科書と医療の現場に生き続けること。それこそが、科学者にとっての真の不滅なのである。
