曖昧な記憶とその証明

エリザベス・ロフタスの「記憶は再構成されるものである」という認知心理学的な仮説は、エリック・カンデル(2000年ノーベル生理学賞受賞)をはじめとする神経科学者たちによる「記憶の再固定化(Reconsolidation)」の研究によって、生物学的な裏付けが得られたと言えます。
ロフタスが行動レベルで示した「記憶の脆さ」が、脳内の分子レベルでどのように起こっているのか、その核心部分を解説します。
1. カンデルが解明した「記憶の物理的実体」
エリック・カンデルは、アメフラシを用いた研究を通じて、学習や記憶がシナプスの伝達効率の変化(シナプス可塑性)や、新しいタンパク質の合成によって生じることを突き止めました。
- 短期記憶: 既存のタンパク質の修飾による一時的な変化。
- 長期記憶: 遺伝子のスイッチが入り、新しいタンパク質が合成されることでシナプスの構造自体が変化し、固定化(Consolidation)された状態。
かつては、一度この「長期記憶」として固定化されたものは、ハードディスクに書き込まれたデータのように、物理的に安定して保存され続けると考えられていました。
2. 「再固定化」:記憶が再び不安定になる瞬間
しかし、その後の研究(カンデルの知見をベースにしたカリム・ネイダーらの研究など)により、驚くべき事実が判明しました。固定化されたはずの記憶も、「思い出す(想起する)」たびに、再び不安定な状態(Labile state)に戻るという点です。
- 「解凍」される記憶: 記憶を呼び出すと、脳内ではその記憶を維持していたタンパク質のネットワークが一時的に不安定になります。
- 再合成の必要性: その記憶を再び保存(再固定化)するためには、再びタンパク質を合成し直す必要があります。
3. ロフタス理論との合流:なぜ「書き換え」が起きるのか
ロフタスが主張した「記憶の変容(ミスインフォメーション効果)」は、この「不安定な再固定化の窓」の期間に起こると解釈できます。
1. 想起による脆弱化: 過去の出来事を思い出すとき、その記憶は分子レベルで「編集可能」な状態になります。
2. 新しい情報の混入: その不安定な状態で、他者からの暗示や新しい情報が与えられると、脳は「元の情報」と「新しい情報」を混ぜ合わせた状態で、タンパク質を再合成してしまいます。
3. 上書き保存: 結果として、本人の意識上では「正しい記憶」として、改ざんされた内容が物理的に再固定化されてしまうのです。
結論として: カンデルらの神経科学は、記憶が「不変の記録」ではなく、想起するたびに分子レベルで作り直される「動的なプロセス」であることを証明しました。これが、ロフタスの「記憶の神話(再構成説)」に強力な生物学的妥当性を与えたのです。
4. 臨床への応用と展望
この知見は、現在では精神医学の分野でも非常に重要視されています。 例えば、PTSDの治療において、トラウマ記憶を想起させた直後にプロプラノロール(β遮断薬)などを投与し、再固定化を阻害することでトラウマの情動的な強さを弱める試みなどがこれにあたります。
記憶の再固定化(Reconsolidation)のメカニズムを臨床に応用する試みは、従来の「消去学習(Extinction)」とは一線を画す新しいPTSD治療アプローチとして注目されています。
従来の消去学習(曝露療法など)が「恐怖記憶の上に新しい安全な記憶を上書きする(元の記憶は残る)」のに対し、再固定化を標的にした治療は「元のトラウマ記憶そのものの感情的強度を弱める、あるいは変容させる」ことを目指します。