『2026年ノーベル生理学医学賞』:光遺伝学が開いた脳とこころの研究

速報『2026年ノーベル生理学医学賞』:光遺伝学が開いた脳とこころの研究

2026年10月5日、ノーベル生理学・医学賞は、カール・ダイセロス、ペーター・ヘーゲマン、ゲオルク・ナーゲルの3氏に授与されると発表されました。 受賞理由は「光で開くイオンチャネルと光遺伝学に関する発見」です。小さな藻類が光を感じる仕組みを調べる研究が、記憶や感情を生み出す脳の働きを探る技術へと発展したのです。[1]

光遺伝学とは、特定の細胞に光で反応するタンパク質をつくらせ、光を当てることで、その働きを操作する技術です。神経科学では、狙った神経細胞を活動させたり、その活動を抑えたりするために使います。まるで神経細胞に「光で動くスイッチ」を取り付けるような方法です。

この技術の意義は、脳の活動を観察するだけでなく、活動に介入して、その役割を確かめられることにあります。「悲しいとき、脳のどこが活動するのか」という問いから、「どの細胞の、どのような活動が、感情や行動を変えるのか」という問いへ。光遺伝学は、脳科学で確かめられることの範囲を大きく広げました。

藻類の光センサーから始まった発見

その出発点にあったのは、緑藻のクラミドモナスでした。 単細胞のこの生物は、光を感じて泳ぐ方向を変えます。光合成に適した場所へ移動するために、光の情報を細胞の活動へ変換する仕組みを備えているのです。

ヘーゲマン、ナーゲルらは、この光への反応を研究し、光が当たるとイオンを通すタンパク質「チャネルロドプシン」の性質を明らかにしました。 2003年には、後に神経科学で広く使われるチャネルロドプシン2、略してChR2が、光によって直接開く陽イオンチャネルであることを報告しています。[2]

イオンチャネルとは、細胞膜にある、電荷を持った粒子の通り道です。 ChR2は、光を受け取る機能と、イオンを通す機能を一つのタンパク質の中に備えています。この簡潔な仕組みが、別の細胞に光への反応性を持たせるうえで、大きな強みになりました。

光で神経細胞を動かす仕組み

神経細胞は、細胞膜の内外にあるイオンの偏りによって電位差を保っています。 通常、細胞内は外側より負になっていますが、この差が一定の方向に変化すると、活動電位という短い電気信号が発生します。これが神経細胞の「発火」です。 そこで、神経細胞にChR2をつくらせ、青い光を当てます。 するとチャネルが開き、正の電荷が正味で細胞内へ流れ込みます。膜電位が上昇する「脱分極」が起こり、閾値に達すれば発火します。光を短いパルスとして与えれば、発火のタイミングも制御できます。

2005年、ダイセロスの研究グループのBoyden、Zhangらは、ナーゲルらとの共同研究により、哺乳類の神経細胞をミリ秒単位の精度で光によって活動させられることを示しました。藻類の光センサーが、神経活動を調べる実用的な道具へ変わったのです。[3]

光遺伝学の「遺伝学」は、ここでは主に、光に反応する性質を遺伝子導入によって細胞に与えることを指します。光を当てるたびに遺伝子を書き換えるのではありません。あらかじめ細胞につくらせたタンパク質を、光で働かせます。

狙った細胞を選び活動を操作する

ただし、脳の細胞を一斉に動かしても、個々の役割は分かりません。光遺伝学では、「どの細胞にスイッチを取り付けるか」が重要になります。

実験では、改変したウイルスを運搬役として遺伝子を届け、遺伝子が働く条件を工夫します。 それによって、ある脳領域の特定の種類の神経細胞や、特定の場所へ信号を送る細胞集団を選べます。脳深部を調べる場合には、細い光ファイバーなどを用いて光を届けます。[4]

さらに、光によって神経活動を抑えるタンパク質も開発されました。 たとえばハロロドプシンは、光のエネルギーで塩化物イオンを細胞内へ運び、発火を抑えます。興奮と抑制の道具を使い分けることで、細胞を動かした場合と、働きを止めた場合を比較できるようになりました。[5]

観察から因果関係の検証へ

この比較は、因果関係を考えるうえで決定的です。

たとえば、動物が恐怖を示すとき、ある細胞集団が活動していたとします。しかし、それだけでは、その活動が恐怖を生んだのか、恐怖の結果として活動したのか、別の仕組みが両方を起こしたのかは分かりません。 そこで、その細胞を光で活動させ、恐怖に対応する行動が生じるかを調べます。 逆に、恐怖を示す場面で活動を抑え、反応が弱まるかを確かめます。 前者は、その活動が反応を引き起こすのに「十分か」、後者は、反応の成立に「必要か」を問う実験です。

しかも、操作する時刻を細かく選べます。 学習中だけ活動を抑えた場合と、後で思い出すときだけ抑えた場合を比較すれば、その細胞が記憶をつくる過程と、取り出す過程のどちらに関わるかを検討できます。場所に加えて、細胞の種類と時間を選べることが、光遺伝学の大きな力なのです。

記憶の細胞を再び活動させる

その力を鮮やかに示したのが、記憶の研究でした。 経験によって脳に残り、記憶の保持や想起を支える物理的な痕跡を「エングラム」と呼びます。光遺伝学では、ある経験をしたときに活動した細胞を標識し、その細胞集団を後から再び活動させることができます。

2012年、利根川進らの研究グループは、マウスがある場所で恐怖を学習した際に活動した、海馬の歯状回の細胞を標識しました。その後、別の場所でそれらの細胞に光を当てると、マウスは恐怖に対応する「すくみ行動」を示しました。[6] 学習した場所に戻らなくても、学習時に活動した細胞集団を再び動かすことで、記憶に対応する行動を引き起こせたのです。これは、記憶に関わる細胞の活動を観察する段階から、その細胞群が想起に果たす役割を直接確かめる段階へ進んだ研究でした。

もちろん、マウスが頭の中でどのような情景を思い浮かべたかまでは分かりません。 また、記憶のすべてが、その細胞だけに保存されているわけでもありません。 標識された細胞群が、脳内に分散する記憶のネットワークを再び動かす入口として働いた、と捉えることができます。

不安や気分を支える神経回路

感情の研究にも、光遺伝学は新しい視点をもたらしました。 扁桃体は恐怖や不安に関わるため、「扁桃体の活動が強いほど不安も強い」と考えたくなります。しかし、扁桃体の中にも、異なる働きをする細胞や経路が存在します。

2011年のTyeらの研究では、マウスの扁桃体基底外側核から中心核へ向かう特定の経路を刺激すると、不安様行動が減少しました。反対に、この経路を抑制すると、不安様行動が増加しました。[7] この結果は、脳の働きを大きな領域の名前だけで説明することの限界を示しています。同じ扁桃体でも、どの細胞が、どこへ信号を送り、その先の細胞をどう変化させるのかによって、行動への作用は異なります。

2015年には、報酬を伴う経験時に活動した海馬の細胞群を再活動させると、慢性ストレスを受けたマウスの一部の抑うつ様行動が改善することも報告されました。肯定的な経験に関わる記憶回路が、ストレス後の行動を変え得ることを示した研究です。[8] 人のうつ病に対する治療効果を直接証明した結果ではありません。それでも、記憶と気分の関係を、細胞と回路の水準で調べられるようになった意義は大きいでしょう。

光遺伝学は、人への応用にもつながっています。 具体的な研究が進む分野の一つが、網膜疾患です。 網膜色素変性などでは、光を受け取る視細胞が失われても、他の網膜の神経細胞が残っていることがあります。そこで、残存する細胞に光感受性タンパク質をつくらせ、光を受け取る働きを与える方法が研究されています。 2021年には、網膜色素変性の患者の網膜神経節細胞に遺伝子を導入し、専用ゴーグルから光刺激を与えることで、物体の存在や位置を捉えるなど、視機能が部分的に回復した症例が報告されました。 正常な視覚を取り戻したわけではありませんが、光遺伝学が人の機能回復につながり得ることを示す一歩でした。[9]

一方、脳への治療応用には、狙った細胞へ遺伝子を届けること、深部まで光を安全に送ること、長期的な影響を確かめることなどの課題があります。また、実験で多数の細胞を一斉に発火させた結果が、自然な脳の働きと同じとは限りません。操作が精密であることと、その結果を正しく解釈できることは、別々に確かめる必要があります。 それでも、精神医学にとって、この技術の価値は直接治療だけにとどまりません。症状を生み出す回路と、症状を改善させ得る回路を見分けることは、薬物療法や脳刺激療法の標的を考える基盤になります。

基礎研究が開いた脳と心への道

今回の受賞研究の歩みで印象深いのは、人の病気から遠く見える問いが、医学を変える道具を生んだことです。 小さな藻類は、どのように光を感じ、泳ぐ方向を変えるのか。その仕組みを追究した研究と、神経細胞の活動を精密に調べたいという研究が結びつきました。

光遺伝学は、心のすべてを説明した技術ではありません。しかし、記憶や感情を支える仕組みに、具体的な問いを立て、実験で答えを確かめる方法を与えました。 私たちが経験し、思い出し、感じるとき、脳の中では何が起こっているのか。その問いに近づくための光を、3氏と多くの共同研究者がともしてきたのです。

参考資料

[1] 2026年ノーベル生理学・医学賞 受賞発表 ロイター https://www.reuters.com/jp/world/us/DNJ6ZLG6NBITNMF5ZMFV532JRY-2026-10-05/ [2] Nagel G, et al. PNAS. 2003. Channelrhodopsin-2, a directly light-gated cation-selective membrane channel. [3] Boyden ES, et al. Nature Neuroscience. 2005. Millisecond-timescale, genetically targeted optical control of neural activity. [4] Laser-scanning Photostimulation of Optogenetically Targeted Forebrain Circuits. [5] Zhang F, et al. Nature. 2007. Multimodal fast optical interrogation of neural circuitry. [6] Liu X, et al. Nature. 2012. Optogenetic stimulation of a hippocampal engram activates fear memory recall. [7] Tye KM, et al. Nature. 2011. Amygdala circuitry mediating reversible and bidirectional control of anxiety. [8] Ramirez S, et al. Nature. 2015. Activating positive memory engrams suppresses depression-like behaviour. [9] Sahel JA, et al. Nature Medicine. 2021. Partial recovery of visual function in a blind patient after optogenetic therapy.