『科学哲学入門』 〜新しい“科学”の考え方〜
『科学哲学入門』
〜新しい“科学”の考え方〜
自然科学は何を前提として成立してきたのか
医学部で学ぶ医学は、基本的には自然科学を基盤としている。解剖学や生理学、薬理学などにみられるように、医学とは、身体という自然現象を対象にした応用科学であり、その意味で医学生は自然科学の訓練を受けていると言ってよい。
では、その自然科学は、どのような前提の上に成立しているのだろうか。
かつて自然科学が「科学」として成立し、妥当性を持つためには、主に存在論、認識論、方法論の三つの次元からなる根本的な前提(存立条件)があると考えられていた。
1. 存在論的条件(自然界の性質に関する前提)
自然科学は、世界が一定の秩序を持って存在していることを前提としている。
- 自然の斉一性(Uniformity of Nature): 自然界の現象は、時間や空間が変わっても同じ法則に従って繰り返されるという前提である。「昨日成り立った物理法則は、今日も明日も成り立つ」という信頼がなければ、普遍的な法則を打ち立てることはできない。
- 因果律の普遍性: すべての現象には原因があり、原因と結果の間には規則的な関係があるという前提である。魔術や気まぐれな神の介入を排除し、事象を原因と結果の連鎖として捉える。
- 客観的実在性: 観察者の意識や主観、願望とは独立して、外界(自然)が客観的に存在しているという前提である。
2. 認識論的条件(人間の認識能力に関する前提)
人間がその自然の秩序を認識し、記述できるという前提である。
- 主客の分離と対象化: 観察する側(主観)と、観察される側(客体)を明確に切り離す態度である。自然現象に対して人間の感情や「目的」「意味」を投影(擬人化など)することを排し、あくまで冷徹な「モノ(対象)」として扱うことが求められる。
- 法則的説明(Erklären)の志向: 事象の背後にある主観的な「意味」や「目的」を内側から共感的に「了解(Verstehen)」するのではなく、普遍的な法則やメカニズムに当てはめて、外側から因果関係を「説明(Erklären)」するという認識の枠組みである。
- 数学的・論理的記述の可能性: ガリレオが「自然という書物は数学の言葉で書かれている」と述べたように、自然の無秩序に見える振る舞いも、最終的には数学的・定量的な言語に還元して記述できるという前提である。
3. 方法論的条件(検証の手続きに関する前提)
得られた知識が「科学的」であると認められるための実践的なルールである。
- 経験的観察と測定可能性(定量化): 理論や仮説は、五感や観測機器による経験的なデータに基づいていなければならない。また、それらは可能な限り数値化(定量化)できる必要がある。
- 再現性(客観的検証可能性): 誰が、いつ、どこで同じ条件で実験・観察を行っても、同じ結果が得られなければならない。特定の個人のみにしか見えない現象は、自然科学の俎上には載らない。
- 反証可能性: カール・ポパーが提唱したように、「どのような観察事実が発見されれば、自らの理論が間違っていると認められるか」という基準が明確に設定されている必要がある。絶対に反証できない理論(どのような結果が出ても都合よく解釈できてしまう理論)は、科学とは見なされない。
自然科学は、これらの条件を厳格に守り、「意味や目的」を括弧に入れて世界を因果的・定量的に扱うことで、飛躍的な発展を遂げてきた。
古典的科学哲学から現代科学哲学へ
しかし、古典的科学哲学の考え方から見ると、現在の科学哲学の見方は、大きく変わってきている。実際の科学が、かつて想定されていたほど単純な論理的手続きでは説明できないことが明らかになったためである。
ポパーの反証可能性などは現在でも重要だが、それだけで科学全体を説明することはできない。実際の科学では、理論に反するデータが出てもただちに理論全体を捨てるわけではなく、測定誤差や補助仮説などが慎重に検討される。
理論とデータの関係:
実際の科学では、理論に反するデータが出ても、ただちに理論を捨てるわけではない。測定誤差、補助仮説、統計的ばらつき、対象集団の違いなどが検討される。したがって、科学は単純な「反証されたら破棄」という機械的手続きではない。
パラダイムの存在:
科学史の研究によって、科学は事実を直線的に積み上げるだけではなく、時代ごとの枠組み、すなわちパラダイムの中で営まれることが示された。ニュートン力学から量子理論へ、精神医学で言えば精神分析中心の時代から操作的診断基準の時代へ、というように、科学の見方そのものが変化することがある。
モデルの役割:
現代科学では「理論」だけでなく「モデル」が中心的役割を担っている。気候モデル、感染症モデル、経済モデルなどは、現実そのものではなく、現実を一定の目的に応じて単純化・抽象化した道具である。科学は世界をそのまま写すのではなく、モデルを用いて現象を理解し、予測し、介入する。
客観性の再定義:
客観性の理解も変わった。かつては、客観性とは研究者の主観や価値判断を完全に排除することだと考えられがちであった。しかし現在では、研究テーマの選択、リスク評価、統計的閾値、診断基準の設定などには価値判断が関与すると考えられている。そのため客観性は、無視点であることではなく、手続き・データ・推論を公開し、他者が批判・再検討できることによって支えられると理解される。
制度への依存:
再現性危機によって、科学の信頼性は個々の研究者の方法だけでなく、査読、データ公開、統計慣行、出版バイアス、研究費配分などの制度にも依存することが明らかになった。
以上から、現代の科学哲学では、科学を単一の方法で定義するよりも、複数の方法やモデル、批判手続きが組み合わさった「公共的で自己修正的な実践」として理解するようになっている。
(著者注)再現性危機(Replication Crisis )とは
心理学や医学などの分野を中心に、過去に権威ある学術誌で発表された科学的研究の多くが、後から別の研究者が同じ条件で実験をやり直しても「同じ結果が得られない(再現できない)」ことが明らかになった問題である。2010年代以降、科学界の信頼を揺るがす深刻な事態として広く認知されるようになった。この問題は、科学が抱える構造的な欠陥を浮き彫りにした。
主な原因として、以下の要素が複雑に絡み合っていることが指摘されている。
- 出版バイアス(Publication Bias)
- 疑わしい研究手法(QRPs: Questionable Research Practices)
- サンプルサイズの不足
- 「Publish or Perish(出版か死か)」の圧力
科学的方法は一つではない(方法論的多元主義)
このような現代の見方からすれば、科学には単一の万能な方法があるとは考えにくい。
物理学における数理モデル、進化生物学における系統解析、医学における臨床試験や疫学研究など、対象に応じて複数の方法が組み合わされると考える方が実際の科学に近い。この立場は方法論的多元主義と呼ばれる。
これは「何でもあり」という相対主義ではなく、対象の性質に応じて適切な方法を使い分ける考え方である。測定できるものは測定し、数値化だけで捉えきれない体験や意味についてはそれにふさわしい方法で理解する。この視点は、精神医学を考える上でとくに重要である。
精神医学は自然科学だけで説明できるのか
精神医学に入ると、医学の性格は少し複雑になる。
うつ病や統合失調症などの精神疾患は、脳と身体の疾患であると同時に、本人の主観的体験や社会的環境、価値観に深く関わる疾患でもある。単一の検査値だけで診断できず、患者の語りや生活機能、経過などを総合して判断する必要がある。
医学は自然科学だが、精神医学は自然科学だけでは尽くせない領域を含んでおり、これを理解するために科学哲学の視点が有用となる。
精神医学における自然科学的説明
精神医学においても自然科学的説明は不可欠である。うつ病における神経可塑性や炎症の検討、統合失調症におけるドパミン系や脳ネットワーク異常の研究など、これらの自然科学的説明がなければ薬物療法や病態研究は成立しない。
パニック発作の患者に対し、発作が自律神経の急激な賦活などによって起こる身体的メカニズムを説明することは、患者の不安を和らげる治療的効果を持つ。精神疾患を単なる「心の弱さ」としないためにも、科学的理解は不可欠であり、精神医学が「脳を診る医学」である点は曖昧にすべきではない。
自然科学だけでは足りない
一方で、精神医学を自然科学だけに還元することもできない。精神症状は単なる神経活動ではなく、本人にとっての意味を伴った体験として現れるからである。
たとえば同じ「抑うつ症状」であっても、過労によって精神が崩れた人と、幼少期からの自己理解や発達特性が背景にあって環境に適応できなくなった人や環境的な面では原因を特定できない人では、治療方針は異なる。休養が中心になる人もいれば、環境調整や心理療法が必要な人もいる。
症状を自然科学的に説明するだけでは、患者がなぜ苦しんでいるのかまでは分からない。ここで必要になるのが、人間の体験を内側から意味として理解する「了解(Verstehen)」の視点である。精神医学では、因果的説明と意味の了解の両方が必要となる。
診断もモデルである
精神医学の診断も一種のモデルである。DSMやICDなどの操作的診断基準は、医師同士が共通言語を持ち治療ガイドラインを作成するために非常に有用である。しかし、「うつ病」という診断名は症状群を整理するためのモデルであり、患者の苦悩の全体を言い尽くすものではない。同じうつ病でも、何に最も苦しんでいるかによって治療の焦点は変わる。
したがって、診断名をつけることだけでなく、診断名によって「何が見え、何が見えにくくなるのか」を考えることが重要である。
精神医学における客観性とは何か
不安や幻聴などの主観的体験は、臨床面接や行動観察、周囲からの情報を通じて、間主観的に検証可能な臨床情報となる。「主観的訴えだから非科学的」というわけではない。本人の語りを出発点とし、診療録はじめ、検査所見や経過、治療内容など、様々な情報と照合して修正可能な臨床仮説を作ること。これは、手続きが公開され、他者による批判が可能であり、再検討されうるという、現代科学哲学における妥当な「客観性」のあり方そのものである。
方法論的多元主義としての精神医学
医学生にとって重要なのは、精神医学を「脳の医学」か「心の理解」かのどちらか一方に分類しないことである。精神医学は、脳を診る医学であり、同時に人間を理解する医学でもある。
急性期には薬物療法と安全確保が優先される一方で、環境との不適合やトラウマに対しては心理療法や環境調整が必要になるなど、患者の苦悩がどの層で生じているかを見極め、適切な方法を選ぶ態度(方法論的多元主義)が求められる。
脳科学だけで説明しすぎず、心理的意味や社会環境だけでも説明しすぎない。自然科学の限界を知ることもまた、医学的成熟である。
脳内で何が起きているか、本人が何を失ったと感じているか、どのような環境が症状を強めているかを同時に考える姿勢が必要である。
おわりに
自然科学の因果的・定量的・客観的な態度は医学にとって不可欠であり、精神疾患を脳や身体の機序から理解する姿勢は今後も中心であり続ける。
しかし、現代の科学哲学が教えるように、科学とは複数の証拠やモデルを組み合わせ、批判に開かれながら自己修正していく公共的実践である。
この視点から見れば、精神医学は自然科学から外れた曖昧な領域ではなく、現代科学哲学が示す「方法論的多元主義」を臨床現場で最も切実に実践している領域の一つと言える。
精神医学とは、自然科学と人文学、説明と了解、機序と意味を往復しながら、人間の苦悩に向き合う医学である。すべての患者は、臓器を持つ身体であると同時に、意味を生きる人間である。医学生がこの複眼的な視点を身につけることは、どの診療科に進む場合にも重要となるだろう。
参考文献
スタンフォード哲学百科事典(Stanford Encyclopedia of Philosophy、 SEP)
検索キーワード: Scientific Method / Scientific Objectivity / Thomas Kuhn / Models in Science / Scientific Pluralism / Philosophy of Psychiatry
- 戸田山和久 『科学哲学の冒険:サイエンスの目的と方法をさぐる』 NHK出版
- 野家啓一 『科学哲学への招待』 ちくま学芸文庫
- サミール・オカーシャ 『哲学がわかる 科学哲学 新版』 岩波書店
- トマス・S・クーン 『科学革命の構造 新版』 みすず書房
