『ウィニコット心理学』を、現代の臨床医・心理士が学ぶ意義 〜具体的診察実践例添付
『ウィニコット心理学』を、現代の臨床医・心理士が学ぶ意義 〜具体的診察実践例添付(医療関係者向けコラム)
本コラムでは、現在の精神科臨床の実践において、ウィニコット心理学の有用性を伝える事を目的にしております。著者あとがきとして、実際の診療での対応例を挙げました。全て架空症例です。 また、ドナルド・ウッズ・ウィニコットの業績については、コラム「今もまだ生きている精神病理学:ドナルド・ウィニコット」を参照下さい。
1.症状が改善した、その先にある問い
眠れるようになった。食欲も戻った。仕事にも通えている。それでも患者さんが、「自分の人生を生きている感じがしません」と語ることがあります。 周囲から見れば回復しているようでも、本人の中には空虚さが残っている。 人の期待に応えることはできるのに、自分が何を望んでいるのか分からない。こうした苦しさは、症状の有無や社会生活の状態だけでは十分に捉えられません。
英国の小児科医・精神分析家ドナルド・ウッズ・ウィニコット(1896~1971)は、この「自分として生きている感覚」に深い関心を寄せました。 彼の問いは、人間の心にどのような葛藤があるかということに加え、そもそも、その葛藤を経験する「私」が、どのように育つのかというものでした。
診断や治療法が細分化される現代の精神医療において、ウィニコットを学ぶ意義は、患者さんの内側にある生きる実感へ、あらためて目を向けることにあります。
2.心は、支えられる関係の中で育つ
ウィニコットの理論は、多くの乳幼児と家族に接した小児科医としての経験を土台にしています。精神分析では、英国の独立学派を代表する人物として知られています。 彼が重視したのは、乳児を養育環境から切り離して理解することはできない、という視点でした。
生まれたばかりの子どもは、食事も体温も安全も、自分で確保できません。身体を支えられ、不快に気づいてもらい、必要な世話を受けることで、生き続けられます。 ウィニコットは、こうした支えが、心理的な発達にも深くかかわると考えました。 最初の乳児は、自分が他者に依存していることさえ認識できません。やがて、世話をしてくれる相手の存在や不在に気づき、少しずつ待つことや離れることを経験します。 その過程で、外から受けてきた支えが、自分の内側にも育っていきます。
この発達観では、自立とは、誰も必要としなくなることではありません。他者の支えを受け取りながら、自分の感情や欲求を感じ、自分なりの選択ができるようになることです。 臨床でも、「人に頼らなくなったか」だけでなく、「必要なときに安心して頼れるようになったか」が、回復を考える大切な問いになります。
3.「ほどよい母親」が教える、支援のあり方
ウィニコットの概念の中で、最も広く知られているのが「ほどよい母親」です。「十分によい母親」とも訳されます。 これは、子どもの成長に応じて、必要な支えを提供できる養育者を意味します。
ごく幼い時期には、子どもの必要に細やかに応じることが求められます。しかし、成長すると、子どもは少しずつ待てるようになり、相手がいつも自分の望みどおりには動かないことも受け入れられるようになります。 例えば、空腹に応じてもらってきた子どもは、やがて食事を準備する音や「もうすぐだよ」という声を手掛かりに、短い時間なら待てるようになります。応じてもらった経験が、待つ力の土台になるのです。 したがって、子どもを鍛えるために、わざと欲求を満たさないという考え方ではありません。日常には避けられない行き違いがあります。それでも、必要な支えを繰り返し得られることが大切なのです。
この視点は、医療者にも示唆を与えます。すべてを先回りして解決することが、常に最善とは限りません。 患者さんが今どの程度の支えを必要としているのかを見極め、自分で考え、試す余地も残す。その調整が、支援の重要な部分になります。
4.ホールディング 〜安心して存在できる土台
「ホールディング」は、文字どおりには「抱えること」です。ただし、実際に抱っこすることだけを指す言葉ではありません。 乳児が耐えられない刺激にさらされず、安心して生活を続けられるようにする、養育全体の働きを意味します。 身体を安定して支えること、生活のリズムを整えること、不快に気づくこと。その積み重ねによって、子どもは外界の変化に絶えず身構えなくてもよくなります。 ウィニコットは、こうした状態にかかわる「存在の連続性」を重視しました。何かに反応し続けることに追われず、そのまま存在していられる感覚です。
成人でも、相手の表情を読み、機嫌を損ねない言葉を探し続けていると、自分の気持ちを感じる余裕が乏しくなります。 診察室でも「正しい患者」であろうとすれば、治療は新たな緊張の場になりかねません。 治療におけるホールディングは、約束や時間が守られること、話を急いで評価されないこと、言葉にならない状態も一定程度受け止められることなどに表れます。
これは、ただ優しく接することだけではありません。 予測できる枠組みがあり、その中で安心して迷えること。その安定性が、自分の感情に触れるための土台になります。
5.「偽りの自己」は、自分を守るための適応でもある
ウィニコットのいう「本当の自己」の中心には、自発性と、生きているという実感があります。面白いと感じる、嫌だと思う、何かに手を伸ばす。そうした動きが、自分の内側から生じていると感じられることです。 一方、「偽りの自己」は、周囲の要求に応じることを中心に形づくられた自己のあり方です。
例えば、仕事はよくでき、人から頼りにされている人が、「自分は何をしたいのか」と尋ねられると答えられないことがあります。何をすれば評価されるかを考え続けてきたために、自分の好みや疲れが分かりにくくなっているのです。 ここで注意したいのは、「偽り」が、嘘つきや不誠実という意味ではないことです。 ウィニコットは、それを、自発的な自己を守る防衛としても捉えました。自分の気持ちを出すと関係が危うくなるなら、相手に合わせることには、生き延びるための意味があります。 また、社会的な礼儀や役割も外界への適応です。問題は適応そのものではなく、それが生活のほぼすべてを占め、自分の感情とのつながりが失われることです。
この視点からすれば、治療は「もっと本音を言いましょう」と促すだけでは進みません。なぜ本音を出せなかったのかを理解し、表現しても関係が保たれる経験を重ねることが必要になります。
6.自分を知るために、他者の応答が必要になる
ウィニコットは、養育者の表情が、子どもにとって「鏡」の役割を果たすと考えました。 子どもが喜ぶと、その喜びを受け取った表情が返ってくる。困っていると、相手がそれに気づいてくれる。こうしたやり取りを通して、子どもは、自分の経験が他者に伝わることを知っていきます。 一方、相手の表情がいつも相手自身の不安や要求で占められていると、子どもは自分の感情を感じるより、相手の状態を読み取ることに力を使うようになる、と彼は考えました。
この視点は、診療にもつながります。 患者さんが怒りについて話したとき、すぐに「認知の偏り」や「防衛」として説明する前に、まず、何に傷つき、何を守ろうとしたのかを理解する必要があります。 受け止めるとは、患者さんの判断にすべて同意することではありません。その人の中に確かに生じている経験を、一緒に確かめることです。自分の気持ちが他者に伝わった経験は、その気持ちを自分でも理解する助けになります。
7.一人でいられる力は、誰かと安心していた経験から育つ
「一人でいられる能力」も、ウィニコットを代表する概念です。その出発点は、「誰かがいるところで、一人でいる」という経験にあります。 例えば、子どもが床で遊び、養育者が少し離れた場所で家事をしている場面を考えてみましょう。養育者は必要になれば応じられますが、遊びに絶えず口を出すわけではありません。 子どもは、相手の存在に支えられながら、自分の関心に没頭できます。この経験が積み重なることで、相手が目前にいなくても、自分の時間を過ごせるようになると考えたのです。
成人の面接でも、沈黙をすぐに埋めなくてよいと感じられることには意味があります。 話題を提供し続けなくても、その場にいてよい。医師の役に立つ話をしなくても、関係は続いている。その経験が、自分の内側へ注意を向ける余裕を生みます。 もちろん、沈黙には安心だけでなく、恐怖や混乱が表れていることもあります。 大切なのは、沈黙を一律に評価するのではなく、その人がその時間をどう経験しているかに関心を向けることです。
8.遊ぶことは、自分の世界を取り戻すこと
子どもが手放せない毛布やぬいぐるみを、ウィニコットは「移行対象」という概念で考えました。 それは外界にある物ですが、子ども自身の特別な意味や安心を帯びています。内側の世界と外側の現実をつなぐ、独特の存在です。
この考えは、遊びや創造性の理解へと広がります。 子どもは箱を船にし、積み木を家にします。現実にある物を使いながら、自分の想像によって新しい意味を生み出しているのです。 成人が小説に心を動かされ、音楽に経験を重ね、料理を工夫するときにも、同じように、現実を自分なりに経験する働きがあります。
ウィニコットは、心理療法にも「遊ぶこと」があると考えました。これは、面接を楽しくするというだけの意味ではありません。 「もしかすると、あのとき寂しかったのかもしれない」 「そう考えると、別の意味にも見えてきますね」 このように、感じ方や意味を、すぐに正解へ固定せず、一緒に試してみることです。
治療者が結論を急ぎ、患者さんがその説明を覚えるだけでは、この余地が狭まります。 治療の中で、自分の言葉や意外な連想が生まれること。それ自体が、自発性を取り戻す過程として大切になります。
9.怒りを表現しても、関係が続くという経験
ウィニコットの「対象の使用」は、少し難しい概念です。ここでの「使用」は、他者を都合よく利用することを意味しません。相手を自分とは別の存在として認め、その相手とかかわれるようになることです。
彼は、この過程で、相手が自分の攻撃性に「生き残る」ことを重視しました。 例えば、患者さんが医師に不満を伝えたとします。医師が報復的にならず、かといって要求に全面的に従うわけでもなく、話し合いを続ける。 その経験を通して、患者さんは、怒りを表現しても相手は消えず、関係も直ちには壊れないことを知る場合があります。
いつも同意していた患者さんが、初めて異議を述べるようになったとき、それは関係への信頼や自発性の変化を示しているかもしれません。 ただし、「生き残る」とは、医療者が無制限の要求を受け入れることではありませ ここには、相手を尊重することと、必要な限界を示すことを両立させる、臨床上の重要な課題があります。
10.理論で人を決めつけず、経験を理解するために使う
ウィニコットは、「自分がばらばらになる」「底なしに落ちていく」といった崩壊への恐れにも注目しました。そして、一部の患者では、発達早期に生じながら、自分の経験としてまとめられなかった苦痛が関係していると考えました。 その発想は、まだ言葉にならない苦しさを、支えのある関係の中で扱うことの大切さを示しています。ただし、現在の症状から幼少期の出来事を逆算する根拠にはなりません。 これは、ウィニコットの理論全体にもいえることです。 彼の概念は、患者さんの経験を理解する助けになりますが、病因を確定する道具ではありません。
原著には、母親を中心とした当時の養育観も含まれています。 現代では、養育機能をさまざまな人が担うこと、養育者自身にも支援が必要なことを踏まえて読む必要があります。人格や精神疾患を考える際にも、遺伝、気質、身体、発達特性、その後の生活環境を併せて検討しなければなりません。
そのうえで、ウィニコットは、現代の診療に大切な問いを残しています。 患者さんは、ここで自分の感じ方を表現できているだろうか。 医療者に合わせることだけに力を使っていないだろうか。 症状の改善とともに、自分の生活を自分のものとして感じられるようになっているだろうか。 診断を行い、治療を選び、生活を支える日々の臨床の中で、こうした問いを持ち続けること。そこに、ウィニコット心理学を学ぶ意義があります。
身体を安定して支えること、生活のリズムを整えること、不快に気づくこと。その積み重ねによって、子どもは外界の変化に絶えず身構えなくてもよくなります。 ウィニコットは、こうした状態にかかわる「存在の連続性」を重視しました。 何かに反応し続けることに追われず、そのまま存在していられる感覚です。
成人でも、相手の表情を読み、機嫌を損ねない言葉を探し続けていると、自分の気持ちを感じる余裕が乏しくなります。診察室でも「正しい患者」であろうとすれば、治療は新たな緊張の場になりかねません。 治療におけるホールディングは、約束や時間が守られること、話を急いで評価されないこと、言葉にならない状態も一定程度受け止められることなどに表れます。 これは、ただ優しく接することだけではありません。 予測できる枠組みがあり、その中で安心して迷えること。その安定性が、自分の感情に触れるための土台になります。
ウィニコットの著作
①『ウィニコットを学ぶ―対話することと創造すること』 館直彦 著/岩崎学術出版社/2013年 ウィニコットの理論を、患者との対話や心理療法の実際につなげて理解するための入門書です。 概念の意味だけでなく、患者が治療関係の中で何を経験し、何と格闘しているのかに目を向けます。とりわけ、言葉で気持ちを十分に表せない患者への理解を深める手掛かりになります。今回取り上げた、過剰適応や自発性、安心して話せる関係について考えながら読むと、日常診療との接点を見つけやすいでしょう。最初の一冊としておすすめします。
②『改訳 遊ぶことと現実』 D・W・ウィニコット 著/橋本雅雄・大矢泰士 訳/岩崎学術出版社/2015年 移行対象、遊ぶこと、創造性、対象の使用、養育者の鏡としての役割などを扱う代表的著作です。 ぬいぐるみや子どもの遊びから、人が自分らしく生き、文化を楽しむ経験までをつなぎます。心理療法を、患者と治療者が意味を一緒に探究する場として考えるうえで重要です。独特の表現があり、平易な入門書ではありませんが、「正しい解釈を伝えること」だけでは捉えきれない治療の働きを学べます。①と併読すると理解を深めやすい一冊です。
③『患者から学ぶ―ウィニコットとビオンの臨床応用』 パトリック・ケースメント 著/松木邦裕 訳/岩崎学術出版社/1991年 ウィニコットとビオンの考えを、実際の治療関係にどう生かすかを学ぶ臨床書です。 治療者が自分の理解や対応を振り返る「心の中のスーパーバイザー」を軸に、行き違いの修復、心理的に抱えること、治療の境界などを検討します。患者を既存の理論に当てはめる前に、その反応から自分のかかわり方を学び直す姿勢が特徴です。沈黙、怒り、依存、面接の行き詰まりを考える際に役立ち、今回の具体例をさらに臨床的に掘り下げたい方に向いています。
著者あとがき 〜具体的診察例
①「よい患者」なのに、治療が進まないとき
例1:医師の期待に応えようとして、復職を急ぐ 休職中の会社員に、医師が「少しずつ復職を考えてもよさそうですね」と伝えます。 患者さんは笑顔で「はい、私もそう思います」と答えます。 ところが、帰宅後から不眠が強くなり、復職予定日が近づくと動悸や吐き気が出てきます。 次の診察でも、「大丈夫です。頑張ります」と話します。 ここで考えたいのは、患者さんの「はい」が、必ずしも本人の希望や準備状態を表していない可能性です。
「先生が復職できると思っているなら、そう答えるべきだ」 「まだ無理と言ったら、怠けていると思われる」 「期待を裏切りたくない」 このような思いが、自分の不安より先に出ているかもしれません。
ウィニコットの視点では、他者に応じる自己が前面に立ち、自発的な気持ちを表現しにくくなっていないかを考えます。 そこで、医師自身の提案が与えた影響も含めて尋ねます。 「前回、私が復職の話をしたので、進めなければいけないと感じたところはありませんか」 「復職したい気持ちと、まだ怖い気持ちは、両方あってよいと思います。それぞれ、どのくらいありますか」
「本音を言ってください」と求めるより、異なる気持ちがあっても関係が損なわれないことを、医師側から示すのがポイントです。
例2:治療課題まで「完璧にこなす仕事」になる 不安に対して生活記録や活動記録を提案したところ、患者さんが毎日何時間もかけて、詳細な表を作ってきます。記録を忘れると、自分を強く責めます。 医師が「よくできていますね」と評価すると、患者さんはさらに努力します。しかし、疲労は増しています。 この場合、治療課題が本人の助けになる活動から、医師の評価を得るための義務に変わっている可能性があります。
「ずいぶん時間をかけてくださったのですね。この記録は、役立つ感じと負担になる感じの、どちらが大きいでしょうか」 「私にきちんと見せるために、無理をしているところはありませんか」 「もっと簡単にする方法を、一緒に考えましょう」 ここで注目するのは、課題の達成度だけでなく、本人が課題を調整したり、断ったりできるかです。
「この方法は合いません」と言えるようになることが、主体性の回復を示す場合もあります。
② 症状は軽くなったのに、「空っぽです」と訴えるとき
例1:生活は戻ったが、すべてが義務になっている うつ病の治療で、睡眠と食欲が改善し、仕事にも通えるようになりました。しかし、患者さんは「仕事をして、食事をして、寝るだけです。生きている感じがしません」と話します。 この訴えには、残遺症状や薬剤の影響などの評価が必要です。 そのうえで、生活が「やるべきこと」だけで組み立てられていないかも確かめます。 「趣味を始めましょう」「楽しいことを探しましょう」という助言が、新たな義務として受け取られることもあります。
ウィニコットの自発性という視点では、まず、ごく小さな心の動きに注目します。 「楽しいとまではいかなくても、少し気になったものはありましたか」 「帰り道で、立ち止まって見たものはありますか」 「食べ物でも服でも、どちらかといえばこちらがよい、と思えたことはありますか」
例えば、「帰りにパン屋の匂いが気になった」と話したなら、そこから経験を確かめます。 「そのとき、少し食べたい感じがしたのでしょうか」 すぐに「では毎日パン屋に寄りましょう」と計画に変えず、本人の中に自然に生じた関心を、そのまま扱うことにも意味があります。
例2:「好きなこと」をしているのに、満足できない 患者さんが「休みの日には映画も見ていますし、運動もしています。でも空しいです」と話します。 詳しく聞くと、映画は話題についていくため、運動は健康管理のために続けています。何をするかは、世間の評価や「正しい休日の過ごし方」で決まっています。
そこで、活動の種類より、本人がどう経験しているかを尋ねます。 「その映画のどこかに、ご自身が引かれたところはありましたか」 「途中で退屈になったとき、見るのをやめてもよいと思えましたか」 「誰にも報告しなくてよい休日なら、何を減らしたいでしょうか」 ここでは「何をしたいか」より、「何をしなくてよいなら楽になるか」から、自分の感覚が見つかる場合があります。
回復を、活動量の増加だけで評価しないことが、この視点の利点です。
③ 面接で「分かりません」が続く、言葉が出ないとき
例1:感情を尋ねられることが、試験のように感じられる 医師が「そのとき、どう感じましたか」と尋ねるたびに、患者さんは長く考えて「分かりません」と答えます。 医師がさらに「悲しかったのですか。腹が立ったのですか」と尋ねると、患者さんは「たぶん、悲しかったのだと思います」と答えます。 しかし、どこか医師の言葉を借りているように見えます。
患者さんにとっては、感情を尋ねられること自体が「正解を求められる場面」になっているのかもしれません。 その場合は、感情名を求めることをいったん緩めます。 「気持ちの名前は、まだ分からなくても大丈夫です」 「その後、黙っていたくなったのか、その場を離れたくなったのか、何か覚えていますか」 「体が固まる感じや、胸が詰まる感じはありましたか。それとも、そういう感じも特にありませんでしたか」 これは、医師の解釈に当てはめるためではなく、本人が捉えやすい経験の入口を探すためです。
言葉にする前の、身体感覚や行動の変化から話せる場合があります。
例2:話したいが、話すと否定されそうで怖い 患者さんが何かを言いかけて、「いえ、何でもありません」と取り消します。医師が「遠慮せずに」と促しても、さらに黙ってしまいます。 このとき、「話さないと治療できない」という雰囲気が強くなると、患者さんは追い詰められることがあります。
「今は、話すかどうか迷っているのですね」 「内容を話さずに、話しにくさについてだけ相談することもできます」 すると、「変な人だと思われそう」「親の悪口を言うことになる」と、話しにくさの理由が語られるかもしれません。 ウィニコットの視点では、語る自由とともに、すべてを直ちに明かさなくてもよい余地を大切にします。
ただし、希死念慮など安全性に関わる事項は、確認する理由を説明し、明確に尋ねます。 「無理に語らせないこと」と「必要な評価を省くこと」は区別します。
④不安が強く、助言や説明を受け取れないとき
例1:職場で叱責され、動揺したまま受診する 患者さんが 「もう全部終わりです」 「明日からどうすればよいのでしょう」 と繰り返し、泣きながら話します。 医師が休職制度や認知の捉え直しを詳しく説明しても、患者さんは同じ質問に戻ってしまいます。 このとき、説明の内容よりも、受け取れる状態が整っていない可能性があります。 ホールディングの視点では、まず、本人が考えられる程度まで負担を小さくすることを重視します。
安全性を確認したうえで、例えば次のように伝えます。 「今は、いくつもの心配が一度に押し寄せているようですね」 「仕事を続けるかどうかは、今日すべて決めなくて大丈夫です。まず、明日の出勤をどうするかに絞りましょう」 説明は一度に一つにし、必要なら短く書いて渡します。本人が少し落ち着いてから、選択肢を増やします。
ここでは、内容を繰り返すことより、情報の量と意思決定の負担を調整することが重要です。
例2:答えをもらっても、すぐに同じ不安に戻る 「本当に大丈夫でしょうか」と何度も尋ね、説明すると一時的に安心するものの、数分後には再び確認する患者さんです。 その都度「絶対に大丈夫です」と保証し続けても、不安の解決につながらない場合があります。 ウィニコットの視点からは、「正しい答えが足りない」のか、それとも「不安を一人で抱えていられない」のかを考える余地が生まれます。
「説明を聞いたときは少し落ち着くけれど、すぐに不安が戻ってくるのですね」 「今すぐ確実な答えを出すことは難しいですが、何を確認し、いつ見直すかは決められます」 医学的な評価に基づき、次の診察までの対応、連絡が必要な状態、相談先を具体的に共有します。
ただし、強迫症などでは確認への応答が症状を維持する場合もあるため、疾患に応じた治療方針と整合させます。ホールディングは、安心の保証を無制限に与えることではありません。
⑤思春期の患者さんが、親や医師の前では本心を話せないとき
例1:保護者が答え、本人は「別に」としか言わない 不登校の中学生が保護者と受診します。医師が本人に質問しても、保護者が先に答え、本人はうつむいています。 この状態で、さらに「学校に戻りたいですか」と結論を求めても、本人の言葉が出るとは限りません。 診察が、本人について大人同士が相談する場になっている可能性があります。 そこで、個別に話す時間を設けることを説明し、本人にも意向を確認します。個別面接では、守秘とその限界を分かりやすく伝えたうえで、例えば次のように尋ねます。
「さっきの話で、少し違うと思ったところはありますか」 「今日、ここに来てほしくなかった理由があれば、それも聞きたいです」 「今日は答えを決めず、話を聞くだけでも構いません」 本人が「学校の話ばかりされたくない」と言えたなら、それは面接を進めるための重要な情報です。
ここでは、自発性を引き出すというより、本人の言葉が出てくる余地を確保することが先になります。
例2:好きな作品の話では、初めて表情が動く 日常生活についてはほとんど話さない高校生が、あるゲームや漫画の話になると詳しく説明し始めます。 医師がすぐに「そのキャラクターは、あなた自身を表していますね」と解釈すると、本人は再び黙るかもしれません。 ウィニコットの「遊ぶこと」の視点では、まず、その話題を共有できること自体に意味があります。
「そのキャラクターの、どんなところが面白いのですか」 「私は詳しくないので、少し教えてもらえますか」 本人が説明し、医師が分からないところを尋ねる。その中では、本人は評価される側であるだけでなく、知っていることを伝える側にもなれます。
こうしたやり取りから、「現実でも、あのくらい自由に言えたらいい」と、本人自身が生活とのつながりを語ることがあります。 そこではじめて、その意味を一緒に考えられます。
例3:「どうしたいか分からない」進路相談 成績のよい高校生が、親の希望する進路を目指しています。しかし、不眠や腹痛が続き、「自分で決めなさい」と言われるほど困ってしまいます。 長く他者の期待を基準にしてきた場合、急に自由を与えられても、自分の希望を選べるとは限りません。
「希望の職業がすぐに決まらなくても大丈夫です」 「勉強していて、少し面白い科目と、特につらい科目はありますか」 「いくつかの進路について、選ぶとしたら何が楽しみで、何が嫌かを考えてみましょう」 一度で「本当の夢」を見つけようとせず、小さな好みや違和感を言葉にしていきます。
ウィニコットの視点が役立つのは、本人に主体性を要求する前に、主体的に感じたり、迷ったり、試したりできる関係を整える必要があると気づかせてくれる点です。
